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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年05月02日

「京の社長」復活しようかと・・・

長らくごぶさたしてます。
数珠紐です。

2009年10月から止まっていたこの

「京の社長」数珠つなぎブログ

もう、2年半がたつのですね。
その間に数珠紐もかなり環境が変わりました。

サラリーマンからの脱却、京都青年会議所の卒業・・・

そんな環境変化でいろいろな制約からも解放され
比較的自由となった数珠紐も京つうさんに
甘えてばかりでは、いけないと思い、このブログを
数珠紐自身が取材しようということで決意を
いたしました。

とはいえ、以前のコンセプトのままでは
成長がないような気がしているので、何か
プラスアルファをといろいろ考えているのですが、
見つかっていません。

もう一度、数珠の起点になっていただきたい方は
おられるのですが、なんとか、パワーアップした
「京の社長」数珠つなぎブログ にしていきたいと
考えてます。

まずは、5月中に記事を更新できればと思ってます。

乞う!ご期待を!

  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 16:05Comments(0)数珠紐より

2009年10月14日

いつ行っても京都っておもしろいな、と言われるようになれば。

第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.3



――京都の活性化についてどう思いますか?

京都への旅行者、観光客を増やそうと思ったら個人でやってもしかたがありません。
国や自治体などの行政が動かないと。
例えば、2003年に始まった花灯路があります。
東山で7年、嵐山で4年、東山の方が100万人、
嵐山が70~80万人に観光客が集まるイベントになりました。

個人でできることは限られています。
うちの旅館が宿泊料金を半額にしました、1/3にしましたといったところで、
京都の他所の旅館からうちの旅館に宿泊先を変える程度のものでしかありません。
九州へ旅行に行きたいと思っていたひとを京都に来てもらうようにはできません。
自治体が率先してすすめる企画に対して民間として協力していく姿勢が必要なのです。
広報にしても自治体任せではなく、
今であればホームページで積極的にとりあげて宣伝に協力することもできます。

8月22日に、すぐ近くの姉小路で「姉小路行灯会」という催しを開催しています。
一昨年からJTBに提案して、それに合わせるようにツアーを組んでいます。
「花月」さんという近所の旅館に能舞台があるので、そこで狂言を観ていただきます。
食事をして、旅館のものが格子の町家をご案内し、姉小路へ行き自由に散策していただきます。
そういう企画に協力、サポートをしています。
京都の8月は大文字の送り火以外に何もないので…。

花灯路も毎年、スタッフのジャンパーを着てちらしを配るなどの手伝いをしています。
いつ行っても京都っておもしろいな、と言われるようにしたいですね。


――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を小野社長が案内する場合、どこに案内しますか?

私の好きなところは二条城。二条城の御殿の中がいちばんおすすめです。

それと、ここはということではないのですが、
いつも当旅館を訪れた方におすすめするコースがあります。
京都の観光地は大きく三つのゾーンに分けられます。
東山、嵐山嵯峨野、そして市内北部、三千院のある大原あたり。
そのなかでも清水から二年坂、産寧坂を通ってずっと一本道を歩き、
突き当たりの平安神宮まで行き、そこから南禅寺、
哲学の道、銀閣寺まで歩くコースがおすすめですね。

道すがら高台寺や知恩院、青蓮院などのお寺もたくさんありますし、
一日ゆっくり歩いていける距離です。
もし歩き疲れたときには、大通りもすぐなので、タクシーを拾うこともできます。

春や秋のシーズンに高台寺は夜間のライトップをしています。
池にサクラや紅葉、ライトが写っているのは本当にきれいですよ。
大きな池、水があるというのがポイントですね。


――それでは、次ぎに紹介していただく北原社長はどんな方ですか?

私は今、日本観光旅館連盟の京都の会長をしているのですが、
北原社長は国際観光旅館組合の京都の会長をしています。
僕より二つ上なのですが、弁がたち、たいへん面倒見もよく、
業界のために、仕事をしっかりやってくれている方です。

――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年8月5日取材)

二条城HP
高台寺HP

*********************************

株式会社綿善

京都市中京区柳馬場通六角下ル
代表取締役 小野善三

電話:(075)223-0111
FAX:(075)223-0112
HP:http://www.watazen.com







■株式会社綿善 小野善三 【1】 >> 【2】 >> 【3】
  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社綿善 小野善三

2009年10月13日

人と人との触れ合いが大切です。

第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.2



――アメリカからの留学生をアルバイトとして採用されていたそうですね?

はい。イギリスの代理店と提携を結んだのと同じ頃、
同志社大学に留学にきていたアメリカの女性をフロントスタッフとして採用しました。
それは英語を3年から5年も習っているにも関わらずまったく喋れない修学旅行生が
少しでも英語に触れる機会になれば、と思ったからです。

当時、京都に来る修学旅行生に向けて「外国人と喋ってみよう」しおりがありました。
京都には海外からの観光客が多く、修学旅行生が観光地などで、
外国のひとに声をかけて喋ってみようということです。

私は観光地などで偶然外国人と会うよりも旅館で喋る機会を作ればと思ったのです。
それが好評で、その女性が大学を卒業して帰国した後も、何年か続けて、留学生を雇っていました。
期間も最初は4月から6月と、9月から10月の修学旅行に合わせたものだったのを
年間を通して働いてもらうようになりました。

留学生がフロントに立っている様子をホームページにアップすると、
先のイギリスの代理店からの紹介もあり次第に海外からの宿泊客が増えてきました。

現在、海外からの宿泊客は殆ど欧米の方です。
中国や韓国などアジアの方は少なく1%くらいです。
2005年には1200人だったのが2006年には2400人、
その次が3600人、去年は5500人とこの5年で5倍くらいに増えています。

英語を話せるスタッフも増えました。
フロントスタッフの5名の内、3名はもう完全に任せることができます。
一番若い28歳のスタッフは入社当初英会話ができなかったのですが、
周囲がわかるくらいよく勉強し、今では英文でメールを送ることもできるようになりました。


――小野社長のプロフィールを教えてください。

高校を卒業した昭和45年は大阪で万博があった年でした。
大阪にはほとんど宿泊拠点がなかったため、
京都に泊まって万博へ行くひとが多く、夏もいっぱいでした。

その頃、父が病気で亡くなり、大学へは進学せずそのまま旅館を手伝っていたのですが、
万博おわって、10月の終わりくらいに、「大学行きたいんやったら行くか」といわれて、
京都産業大学に入学しました。

大学を卒業して3年、熱海の旅館に修行に出されました。
母か、祖父の知り合いの旅館だったのですが、
預かってやるから来いと、もう否応なしにです(笑)。
最初から3年と決まっていたので、早く行けば、早く帰ってこられるのではと考え、
4回生の後期試験が終わったら卒業式も出ずに熱海に向いました。
初めての休暇で京都に戻ったときに大学へ行き、
学生証とひきかえに卒業証書と卒業アルバムをもらったのを覚えています。
結局、熱海には3年半くらい居ました。

昭和53年の6月に京都に戻り、代表には昭和59年に就きました。
それまで木造の旅館だったのを今の建物に建て替えるタイミングに合わせての就任でした。
そのときに資本を増やし有限会社を株式会社にしました。




――ホームページには創業当時からずっと受け継がれてきた言葉として「平穏 佳肴(かこう) 心地よし」とあげていますね。

はい。「平穏・佳肴・心地よし」を現代の言葉になおすと「安全・美味・快適」になります。
旅館業に限らず、どの商売でもいえるのですが、常連さん作りに徹しないといけないと思います。
また宿泊頂いた方が当社のセールスマンであると考えています。
京都に行ったけど、どこそこがよかった。あの旅館がよかった、
と宿泊された方に言っていただくようなおもてなしをしたいと思います。

海外の方だと「トリップアドバイザー」というサイトがあり、
いろいろな評価が一段階から五段階まであってランキングされます。
今、京都の旅館部門で8位なのですが、口コミ的にそのサイトを見て来てくれるひとも増えました。

お客さまが満足するのは当たり前のことです。
二度、三度と来てもらおうと思ったら感動してもらわないといけない。
そのためにどうすればいいのかということを常に考えています。
ホテルと違って旅館は人と人とのふれあいを大切にします。

客室係でもフロントでもお客さんと、ひと言ふた言しゃべりなさいと、いつも言っています。
ご案内した部屋に髪の毛が落ちてた。
「こんなん落ちてたで」と言われるのか、「どうしてくれんの」と言われるのか。
そこで「すいません」と謝って「まあええよ」と答えてもらえるのか。
やはり人と人との触れ合いが大切です。

「この旅館にはこういう仲居さんが居て、俺の名前をいってくれたら、ようしてくれる」と
紹介してもらえるような人間の触れ合いを中心にしていかないといけません。
ひとを大切にしたいですね。


■綿善旅館HP
■トリップアドバイザー

■株式会社綿善 小野善三 【1】 >>【2】>> 【3】   


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社綿善 小野善三

2009年10月09日

京都ではオフにあたる夏と冬に海外から宿泊客を増やしています

第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.1



株式会社鈴木松風堂の鈴木社長から、「いち早く外国人観光客をターゲットに見据え、海外からの観光客を受け入れるサービスを京都で始めた旅館の社長です。ユニークな発想でおもしろい切り口で旅館を経営されている方です」と紹介をいただいた株式会社綿善の小野社長です。綿善は江戸時代の創業。古きよき伝統をうけつぐ老舗旅館です。


――江戸時代に創業されたそうですね?

はい。創業は江戸時代の天保元年1830年です。それ以前には薬屋でした。
この辺りは室町も近く、地方から反物を仕入れに来る商人の方があって、
一晩泊めてくれませんか?というのから次第に商人宿として発展していきました。
ここは東海道筋の終点、三条大橋に近く、祇園や室町・西陣にも歩いていける便利なところで、
昔からある旅館はそういう成り立ちが多いようです。

今は修学旅行が多いですね。
たまたま新京極が近くにあったので、修学旅行生が増えてきました。
民宿に近いような小さな民家では大人数の修学旅行生を受け入れられないので、
戦後、修学旅行生用の旅館が次第に増えてきました。

ただ修学旅行も今は少子化の影響で減っているのが現状です。
以前は学年で5クラスあったような学校が、今は4クラスになっています。
ほとんどの学校は宿をその学校だけで独占したいので、
他の学校を入れることはありません。
なので、一年間に受け入れている学校数は減っていないのですが、
全体の宿泊人数が減っています。
ひとつの学校で100名宿泊していたのが、80名に減っているということです。

一年でいうと4月から6月と9月から11月が修学旅行と観光シーズンのピークです。
でもその山が低くなっている。
それではいけないので、京都では観光シーズンオフにあたる夏と冬に海外から宿泊客を増やし、
売上の谷が浅くなるようにしています。


――海外からの観光客を早い時期から受け入れていると、紹介を頂いた鈴木社長にうかがったのですが?

大きな部分はやはりインターネットです。
インターネットの黎明期にまだインターネットのこともよくわからないまま、
興味を持って見てみると、外国の情報を見るこができ、
広告媒体としておもしろいのでは、という感じがしました。

たまたまホームページの制作をしていた友人が居て、
ホームページの研究も兼ねて、当社のホームページを是非作らせて欲しいと言われ、
立ち上げることにしました。それが15年位前、90年代の中頃のことです。

当初から英語のページも用意していたのですが、
最初は海外からの問い合わせはありませんでした。
それから数年後、90年代の後半にイギリスの旅行代理店の日本支社の方が来られて、
日本への観光客を増やしたいのだが、京都で受け入れてくれるような旅館がほとんどないので、
提携して欲しいという話がありました。
その当時は英語がしゃべれるスタッフもいませんでした。
でも私は英語ができたので、やってみようかな、と思ったのです。


■綿善旅館HP

■株式会社綿善 小野善三 【1】 >> 【2】 >> 【3】   


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社綿善 小野善三

2009年08月04日

毎回来る度に違った感動を受けられるのが京都かなぁ。

第19回 株式会社鈴木松風堂 代表取締役社長 鈴木 基一 vol.3



――京都の活性化についてどう思いますか?

日本のいちばんの観光都市だということを考えた町の整備ですね。
電信柱をなくしたりビルの高さ規制を徹底して景観を守ることが大切だと思います。
路面電車を復活させ、駐車場を整備して市内への車の乗り入れを規制した方がいいと思います。

また今はどんどん潰されている町家や商家を保存して100%活用することも必要です。
昔から考えられて使われているメリットも多く、多目的に利用できる建物です。
京都の町に住んでいるひとが快適に暮らすというのも重要なのですが、
観光都市ということをうたい、生活の糧にしているのですから、
来ていただいた方が快適に過ごすためには、ある程度我慢も必要なのではないでしょうか。


――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を鈴木社長が案内する場合、どこに案内しますか?

どこなのでしょうね・・・。なんか思いあたらないですね。
僕らが普段見ている景色とお客さまを連れて行った景色は違いますよね。

例えば今日(09年6月10日)ですと清水寺がいいと思います。
雨が降っているし、インフルエンザのことがあり、
観光客も少ないので壮大な舞台と雨に濡れた新緑が相まってきれいでしょうね。

四季折々違いますし、ひとがどれだけいるかでという部分で見え方もかわります。
非常に難しいですね。そのときそのときで見え方、感じ方がかわるものですから。
その違いがいろいろ見られる、毎回来る度に違った感動を受けられるのが京都かなぁ。

それと京都の人との会話が楽しめるお店ですよね。
おすすめは、当社からすぐのところにある和菓子屋「大極殿」が経営している
甘味処「栖園(せいえん)」ですね。

オーナーの奥さんが接待してくれるのですが、完全な京の言葉でもてなしてもらえます。
もちろんお茶菓子やおまんじゅうもおいしいです。
また200年間前の壁がそのまま使われているような京都らしい建物で柱も立派で、
お庭もいいですし、やすらげる場所です。
京言葉と京都の和菓子、そして建物や庭の三つの感動が味わえる
少ないスポットのひとつです。京都ってすごいなあと、
そこだけで京都に来たというよろこびを感じるお店です。


――それでは、次ぎに紹介していただく小野社長はどんな方ですか?
修学旅行客の旅館がほとんどの中で、いち早く外国人観光客をターゲットに見据え、
海外からの観光客を受け入れるサービスを京都で始めた旅館の社長です。
ユニークな発想でおもしろい切り口で旅館を経営されている方です。


――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年6月10日取材)

*********************************

株式会社鈴木松風堂

京都市中京区柳馬場六角下ル井筒屋町409・410番地
代表取締役 鈴木 基一

電話:(075)211-5641
FAX:(075)231-9359

HP:http://www.shofudo.co.jp/






■株式会社鈴木松風堂 鈴木基一 【1】 >> 【2】 >> 【3】
  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社鈴木松風堂 鈴木基一

2009年08月03日

紙の文化には昔からの日本の知恵が詰まっています。

第19回 株式会社鈴木松風堂 代表取締役社長 鈴木 基一 vol.2

 

――紙製品のアンテナショップとともに、体験工房も運営されているのですね?

はい。修学旅行生と団体の小旅行が多いですね。リピーターのお客さんも結構います。
京都の紙や素材を使い、京都の先生に教えてもらいながら作るメイドイン京都で、
しかもオンリーワンの製品を自らの手で作ることができます。

作る楽しみに加え、お土産の価値ももちろんあって、新しいお土産の切り口をめざしています。
実際、日本中どこへ行ってもおみやげ物はどこも同じようなものばかりなので、
京都へ行ったという実感が確実に残るものを、思い出として、提供したいですね。

また工房のテーブルや椅子は全て紙で作っています。
接着剤には昔から使われている糊を使い、塗料の方も顔彩という絵の具を使い、
ニスの代わりに柿渋を塗って耐水性をもたし強度を強くしています。
昔の素材をつかい匂いや、ゆとりを知ってもらいます。

紙の文化には昔からの日本の知恵が詰まっています。
例えば、障子は木の枠に薄い紙を貼っただけのものですがいろいろな機能があります。
紙に光が当たると光が拡散して、光が暗い部屋の奥まで届くようになります。
もちろん風や湿気を防ぐ効果があります。
襖になると、断熱や防音の効果があります。
使う材料は少なく、軽いけれど、強いものができ、日本ではたいへん重宝されています。
海外にはないもので、そういう日本の文化、知恵を今のひとに繋いでいきたい、
見直してもらいたいと思っています。

 


――鈴木社長の経歴について教えてください。

昭和24年生まれで、立命館大学を卒業してすぐに家業に付きました。
違う方向を目指したいと思ったこともあったのですが、息子が私ひとりしかいなかったので。

入社は昭和46年位かな。
その頃には福井や滋賀に既に工場があって、呉服や反物の巻芯が多かったですね。
昭和から平成に変わる頃にかけて、これまでの商品だけでは企業を維持できない時代になりました。
今から15年ほど前、創業100年の年に私が四代目の社長に就任してから随分方向転換しました。

 

――鈴木社長は毎週火曜にレストランの厨房に立つとうかがったのですが。

体験工房に併設している「レストラン&バー AMAGAERU」の厨房に毎週火曜日にたっています。
おまかせの7~8品で3000円のコースを提供しています。
これはひとつの趣味みたいなものですけど、決まった原価の材料で何ができるのか、
それも7〜8品でお客さまに満足していただくということを考えるのが好きで、
それはパッケージも共通のことで、お客さんの商品をどう売れる商品にしてあげるか、
料理も相通じるところがあります。ある意味訓練の場と感じています。

前に来てもらった方に同じものも出せないですし、季節の旬のものを味わっていただきたい。
だいたい月に2度は週末に四国の高知の方へ材料を仕入れにいっています。
日曜市で珍しいお野菜を買い、
昼から夕方まで海で釣りをして釣れた魚を調理したり干物にして提供しています。
高知は日射しが違うのか野菜の成長が早く、やわらかくて香りがいいですね。
最近では農家の方とも仲が良くなり、
次はあの野菜がいいという感じで現地調達もできるようになりました。
休みがないといっても、家に居ても社長は24時間仕事ですから(笑)。


鈴木松風堂HP
レストラン&バー AMAGAERU HP

■株式会社鈴木松風堂 鈴木基一 【1】 >> 【2】 >> 【3】   


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社鈴木松風堂 鈴木基一

2009年07月31日

紙は究極のエコ製品です。

第19回 株式会社鈴木松風堂 代表取締役社長 鈴木 基一 vol.1



株式会社マルタカの林社長から、「親分肌で面倒見がよく、様々な局面で指導をいただいています」と紹介をいただいた鈴木松風堂の鈴木社長です。鈴木松風堂は明治時代の創業。紙管の製造販売から紙を使ったパッケージ全般の製造を手がけています。また紙製品のアンテナショップや体験工房も運営しています。


――創業者は明治時代に上海で、事業を思いついたそうですね?

はい。私の曽祖父はカトリックの宣教師でした。
布教活動で上海を訪れ、そこでおみやげとして買った万華鏡から事業を思いつきました。
その万華鏡は紙の筒で出来ていたのですが、その当時、日本に紙製の筒はありませんでした。

明治の頃、呉服・反物を巻く木製の芯が大量に使われていました。
京都は寺社・仏閣がたくさんあり木材がよく使われていたので、
木製の芯は高価で、そのため安い代用品が求められていました。

曽祖父が勧業博覧会で紙製の芯を発表したところ、大丸、白木屋にこれはいい、
と採用され事業がはじまりました。それが明治26年のことです。


――今はパッケージ、包装資材全般に事業を拡大されているそうですね。

明治以降、第二次世界大戦前にはブリキ缶の代用品としてオブラートなどの入れ物を作ったり、
戦後は今も紙のパッケージが使われているクレンザーやアイスクリームの入れ物を
製造してきました。

呉服関連の取引はピークと比べると激減してしまいました。
現在、取り扱っているメインの商品は進物用の箱、パッケージ、包装資材です。
和菓子やお漬物のメーカーさんなど昔から京都にある企業をはじめ、
取引先は全国に広がっています。
工場も京都の他に福井と滋賀にあります。

ここ最近は大量生産、大量消費の時代から小ロット多品種のものに扱いが変わってきています。
パッケージ業界もやはり定型で大量に生産できるものは海外にシフトしています。
またパッケージに入れる製品自体も海外で生産するところが増えているので、
製品の製造からパッケージまで一貫して海外で製造する割合が増えています。

そこで勝負しても値段で折り合いがつかないので、
当社は他所にはないものを提案し、作るようにしています。
発想を転換し、誰もが考え付かないような方法でギフト商品のパッケージを作ります。
本来、プラスチックや金属で出来ているものを紙で代用したり、曲がらない紙を曲げたりします。
アイデアを出し、いろいろな研究をしています。
ひとくちに紙をいっても、いろんな紙があります。可能性は無限にひろがっているのです。

また紙は究極のエコ製品です。現在では7〜8回もリサイクルして使用することができるのですが、
実は昔から紙はリサイクルされていました。

江戸時代の頃は襖や障子の紙から、最後には落とし紙(トイレの紙)になり、
最終的には自然に帰ります。

かみさんとも言うように紙は非常に価値の高いもので、非常に大事にされていました。
それと、紙の箱というのは単に便利で環境にやさしいだけでなく、
手触りが温かく、やさしい触感や、紙特有の見た目のやさしさがあって、日本人が好むアイテムです。

鈴木松風堂HP

■株式会社鈴木松風堂 鈴木基一 【1】 >> 【2】 >> 【3】   


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社鈴木松風堂 鈴木基一

2009年06月05日

相手のことを思いやって考えるのが「おもてなし」です。

第18回 株式会社マルタカ 代表取締役 林 利治 vol.3



――林社長の経歴について教えてください。

京都で生まれて大学を卒業するまでずっと京都でした。
大学は理工学部で機械工学を学び就職はその関連で鉄鋼の商社に入社しました。
大阪が本社の会社だったのですが、研修が終わると東京に配属になりました。
入社がプラザ合意のあった1985年で、1990年に退社して京都に戻り
マルタカに入社することになるのですが、
ちょうどバブルの真っ只中に東京に居たことになります。
でもその恩恵を受けることはありませんでしたし、
いろいろなものが京都と違いすぎて、最後まで東京は水が合わなかったですね。

ここ(東京)で死ねるかというと、ここでは死ねん。
いつかは京都へ帰るという気持ちはずっと持っていました。

当時、マルタカも丸和商業も父が社長をしていました。
父は今も会長として元気にやっているのですが、
2003年にマルタカの代表に、2006年に丸和商業の代表につきました。


――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を林社長が案内する場合、どこに案内しますか?

どこかひとつというのではなく、その方に合ったところを案内できるように考えます。
相手のことを思いやって考えるのが「おもてなし」なのだと思います。
知りうるだけの情報を得て、その方のことを考えて、
自分なりの答えを出すのが京都の「おもてなし」です。

案内する、しないは別にして私のいちばん思い出深い場所は嵯峨野の常寂光寺です。
大学のときに入っていたサークルの先生が常寂光寺の本当にすぐのところに住んでいて、
ちょこちょこ寄せてもらっていました。
大晦日から先生の家に行き、除夜の鐘をついたり、初日の出を見た思い出があります。

観光シーズンになると有名寺院はどこもひとが多いのですが、
京都だと穴場的なところも含めるとたくさん案内できるようなスポットがありますね。
鴨川を歩くだけでも京都を感じていただけると思います。

また京都市内だけでなく亀岡や美山の方もいろんなところがあって、
京都に生まれて良かったと思いますね。


――それでは、次ぎに紹介していただく鈴木社長はどんな方ですか?

私とひとまわり年齢が違うのですが、器の大きな方です。
はじめてアメリカでの展示会へ行くときに、
飛び込みのような形で出展の依頼に行ったところ、
「おもしろそうやないか。行こか」とふたつ返事で言っていただきました。
面倒見がよく親分肌のところがあるのですが、いつも私たちの視線で話をしてくださり、
様々な局面で指導をいただいています。すごく個性的でいい社長さんです。

――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年4月28日取材)

常寂光寺HP

*********************************

株式会社マルタカ
京都市中京区壬生賀陽御所町18番地3

代表取締役 林 利治

電話:(075)841-5454
FAX:(075)811-7247
HP:http://www.e-furoshikiya.co.jp/







■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】


  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社マルタカ 林利治

2009年06月04日

風呂敷は物を包むだけでなく、心を包み伝える道具です。

第18回 株式会社マルタカ 代表取締役 林 利治 vol.2

――前回の沖野社長も参加している異業種交流会Kyoohoo!?(キョフー)の会長をつとめているんですね?

はい。Kyoohoo?!(キョフー)はもともと2000年に発足して2001年に海外へ向けた活動をはじめています。企業数はその間、若干の増減はあるのですが、ようやく固まってきました。

Kyoohoo?!(キョフー)は毎年、ニューヨークの国際ギフトフェアに出展しています。続けて参加することにより、ようやく出展費用を回収できるくらいになってきました。去年、一昨年あたりから芽が出てきたのを実感しています。続けることによって日本とアメリカの商習慣の違いや、同じところが見えてくるようになりました。商売は、アメリカといえど結局は人に尽きるということです。

海外なのでビジネスライクに契約書を交わせばいいというのではなく、お互いの信頼関係が大切なのです。

それと風呂敷に関して言えば、外国人と日本の若い人は似ているのではないかと考えています。風呂敷を見たことがない、使ったことがないという意味では変わりがありません。日本人でもそのような方が増えています。

外国の方は先入観がないので、逆に新しいアイデアやヒントを貰えるのではないかと期待しています。とはいえ風呂敷もずっと以前から海外で紹介されているので、そう簡単なものでないことも事実です。


――マルタカの経営理念はどのようなものなのですか?

以前風呂敷は、なかなか売れなくなっていると中国から来た留学生に話したことがあります。
そうしたらその若い留学生は、「なんでやめないのです?中国であれば絶対やめていますよ」と言うのです。

当社は風呂敷屋です。伝統や儀礼的なものも含めて風呂敷は良いものだと思うし、それを残していきたいと思います。商機は充分にあると思っています。

風呂敷は物を包むだけでなく、心を包み伝える道具です。ひとを思いやる気持ちを包んで相手に贈るという意味が隠されているのです。風呂敷が見直されることで日本をよくしていければと
考えています。

その取り組みのひとつとして当社では風呂敷で地雷廃止の募金をはじめました。カンボジアで1メートル四方をきれいにして地雷をなくすのに100円かかるとインターネットで見て思いつきました。

実は風呂敷にはちょうど同じ1メートル四方=三巾の大きさのものがあります。「難民を助ける会」という団体が地雷廃絶に取り組んでおり、そこと協力してひとつ買ってもらう度に100円募金をいただくようなシステムを作りました。

風呂敷は「心を包む道具」です。少しでも困っている方の役に立てれば、
これをきっかけにひとりでも多くの方が地雷の問題に興味を持っていただければと考えています。


――京都という町をどう思いますか?

京都はたいへん懐が深いところだと思います。
伝統のある老舗から最先端の企業まで、良いものもあれば悪いものもある。
玉石金剛ですね。その中で本当にいいものだけが残っていくのが京都です。

先日、バスに乗っていると観光客があの店の対応なんやと言っているのを聞いたのですが、
そういう言葉を聴くと寂しいですね。
いろいろと新しいものが出てくるものが全て良いものであるはずはないのですが、
みんなが切磋琢磨して、悪いところは退場していき、
良いものだけが残る仕組みであって欲しいとは思います。
高い志をもっている人がたくさん居て、京都のもつポテンシャルは非常に高いと思います。

今まで1200年以上そうだったように、老舗というだけで生き残っているわけではなく、
やはり残るだけの理由があって、京都の町で認められ残っているのです。


株式会社マルタカHP 「京都・いーふろしきや」
丸和商業株式会社HP

財団法人 京都産業21HP
難民を助ける会HP

■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】
  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)株式会社マルタカ 林利治