2009年06月05日
相手のことを思いやって考えるのが「おもてなし」です。
第18回 株式会社マルタカ 代表取締役 林 利治 vol.3

――林社長の経歴について教えてください。
京都で生まれて大学を卒業するまでずっと京都でした。
大学は理工学部で機械工学を学び就職はその関連で鉄鋼の商社に入社しました。
大阪が本社の会社だったのですが、研修が終わると東京に配属になりました。
入社がプラザ合意のあった1985年で、1990年に退社して京都に戻り
マルタカに入社することになるのですが、
ちょうどバブルの真っ只中に東京に居たことになります。
でもその恩恵を受けることはありませんでしたし、
いろいろなものが京都と違いすぎて、最後まで東京は水が合わなかったですね。
ここ(東京)で死ねるかというと、ここでは死ねん。
いつかは京都へ帰るという気持ちはずっと持っていました。
当時、マルタカも丸和商業も父が社長をしていました。
父は今も会長として元気にやっているのですが、
2003年にマルタカの代表に、2006年に丸和商業の代表につきました。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を林社長が案内する場合、どこに案内しますか?
どこかひとつというのではなく、その方に合ったところを案内できるように考えます。
相手のことを思いやって考えるのが「おもてなし」なのだと思います。
知りうるだけの情報を得て、その方のことを考えて、
自分なりの答えを出すのが京都の「おもてなし」です。
案内する、しないは別にして私のいちばん思い出深い場所は嵯峨野の常寂光寺です。
大学のときに入っていたサークルの先生が常寂光寺の本当にすぐのところに住んでいて、
ちょこちょこ寄せてもらっていました。
大晦日から先生の家に行き、除夜の鐘をついたり、初日の出を見た思い出があります。
観光シーズンになると有名寺院はどこもひとが多いのですが、
京都だと穴場的なところも含めるとたくさん案内できるようなスポットがありますね。
鴨川を歩くだけでも京都を感じていただけると思います。
また京都市内だけでなく亀岡や美山の方もいろんなところがあって、
京都に生まれて良かったと思いますね。
――それでは、次ぎに紹介していただく鈴木社長はどんな方ですか?
私とひとまわり年齢が違うのですが、器の大きな方です。
はじめてアメリカでの展示会へ行くときに、
飛び込みのような形で出展の依頼に行ったところ、
「おもしろそうやないか。行こか」とふたつ返事で言っていただきました。
面倒見がよく親分肌のところがあるのですが、いつも私たちの視線で話をしてくださり、
様々な局面で指導をいただいています。すごく個性的でいい社長さんです。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年4月28日取材)
■常寂光寺HP
*********************************
株式会社マルタカ
京都市中京区壬生賀陽御所町18番地3
代表取締役 林 利治
電話:(075)841-5454
FAX:(075)811-7247
HP:http://www.e-furoshikiya.co.jp/
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】

――林社長の経歴について教えてください。
京都で生まれて大学を卒業するまでずっと京都でした。
大学は理工学部で機械工学を学び就職はその関連で鉄鋼の商社に入社しました。
大阪が本社の会社だったのですが、研修が終わると東京に配属になりました。
入社がプラザ合意のあった1985年で、1990年に退社して京都に戻り
マルタカに入社することになるのですが、
ちょうどバブルの真っ只中に東京に居たことになります。
でもその恩恵を受けることはありませんでしたし、
いろいろなものが京都と違いすぎて、最後まで東京は水が合わなかったですね。
ここ(東京)で死ねるかというと、ここでは死ねん。
いつかは京都へ帰るという気持ちはずっと持っていました。
当時、マルタカも丸和商業も父が社長をしていました。
父は今も会長として元気にやっているのですが、
2003年にマルタカの代表に、2006年に丸和商業の代表につきました。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を林社長が案内する場合、どこに案内しますか?
どこかひとつというのではなく、その方に合ったところを案内できるように考えます。
相手のことを思いやって考えるのが「おもてなし」なのだと思います。
知りうるだけの情報を得て、その方のことを考えて、
自分なりの答えを出すのが京都の「おもてなし」です。
案内する、しないは別にして私のいちばん思い出深い場所は嵯峨野の常寂光寺です。
大学のときに入っていたサークルの先生が常寂光寺の本当にすぐのところに住んでいて、
ちょこちょこ寄せてもらっていました。
大晦日から先生の家に行き、除夜の鐘をついたり、初日の出を見た思い出があります。
観光シーズンになると有名寺院はどこもひとが多いのですが、
京都だと穴場的なところも含めるとたくさん案内できるようなスポットがありますね。
鴨川を歩くだけでも京都を感じていただけると思います。
また京都市内だけでなく亀岡や美山の方もいろんなところがあって、
京都に生まれて良かったと思いますね。
――それでは、次ぎに紹介していただく鈴木社長はどんな方ですか?
私とひとまわり年齢が違うのですが、器の大きな方です。
はじめてアメリカでの展示会へ行くときに、
飛び込みのような形で出展の依頼に行ったところ、
「おもしろそうやないか。行こか」とふたつ返事で言っていただきました。
面倒見がよく親分肌のところがあるのですが、いつも私たちの視線で話をしてくださり、
様々な局面で指導をいただいています。すごく個性的でいい社長さんです。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年4月28日取材)
■常寂光寺HP
*********************************

京都市中京区壬生賀陽御所町18番地3
代表取締役 林 利治
電話:(075)841-5454
FAX:(075)811-7247
HP:http://www.e-furoshikiya.co.jp/
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2009年06月04日
風呂敷は物を包むだけでなく、心を包み伝える道具です。
第18回 株式会社マルタカ 代表取締役 林 利治 vol.2
――前回の沖野社長も参加している異業種交流会Kyoohoo!?(キョフー)の会長をつとめているんですね?
はい。Kyoohoo?!(キョフー)はもともと2000年に発足して2001年に海外へ向けた活動をはじめています。企業数はその間、若干の増減はあるのですが、ようやく固まってきました。
Kyoohoo?!(キョフー)は毎年、ニューヨークの国際ギフトフェアに出展しています。続けて参加することにより、ようやく出展費用を回収できるくらいになってきました。去年、一昨年あたりから芽が出てきたのを実感しています。続けることによって日本とアメリカの商習慣の違いや、同じところが見えてくるようになりました。商売は、アメリカといえど結局は人に尽きるということです。
海外なのでビジネスライクに契約書を交わせばいいというのではなく、お互いの信頼関係が大切なのです。
それと風呂敷に関して言えば、外国人と日本の若い人は似ているのではないかと考えています。風呂敷を見たことがない、使ったことがないという意味では変わりがありません。日本人でもそのような方が増えています。
外国の方は先入観がないので、逆に新しいアイデアやヒントを貰えるのではないかと期待しています。とはいえ風呂敷もずっと以前から海外で紹介されているので、そう簡単なものでないことも事実です。
――マルタカの経営理念はどのようなものなのですか?
以前風呂敷は、なかなか売れなくなっていると中国から来た留学生に話したことがあります。
そうしたらその若い留学生は、「なんでやめないのです?中国であれば絶対やめていますよ」と言うのです。
当社は風呂敷屋です。伝統や儀礼的なものも含めて風呂敷は良いものだと思うし、それを残していきたいと思います。商機は充分にあると思っています。
風呂敷は物を包むだけでなく、心を包み伝える道具です。ひとを思いやる気持ちを包んで相手に贈るという意味が隠されているのです。風呂敷が見直されることで日本をよくしていければと
考えています。
その取り組みのひとつとして当社では風呂敷で地雷廃止の募金をはじめました。カンボジアで1メートル四方をきれいにして地雷をなくすのに100円かかるとインターネットで見て思いつきました。
実は風呂敷にはちょうど同じ1メートル四方=三巾の大きさのものがあります。「難民を助ける会」という団体が地雷廃絶に取り組んでおり、そこと協力してひとつ買ってもらう度に100円募金をいただくようなシステムを作りました。
風呂敷は「心を包む道具」です。少しでも困っている方の役に立てれば、
これをきっかけにひとりでも多くの方が地雷の問題に興味を持っていただければと考えています。
――京都という町をどう思いますか?
京都はたいへん懐が深いところだと思います。
伝統のある老舗から最先端の企業まで、良いものもあれば悪いものもある。
玉石金剛ですね。その中で本当にいいものだけが残っていくのが京都です。
先日、バスに乗っていると観光客があの店の対応なんやと言っているのを聞いたのですが、
そういう言葉を聴くと寂しいですね。
いろいろと新しいものが出てくるものが全て良いものであるはずはないのですが、
みんなが切磋琢磨して、悪いところは退場していき、
良いものだけが残る仕組みであって欲しいとは思います。
高い志をもっている人がたくさん居て、京都のもつポテンシャルは非常に高いと思います。
今まで1200年以上そうだったように、老舗というだけで生き残っているわけではなく、
やはり残るだけの理由があって、京都の町で認められ残っているのです。
■株式会社マルタカHP 「京都・いーふろしきや」
■丸和商業株式会社HP
■財団法人 京都産業21HP
■難民を助ける会HP
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】
――前回の沖野社長も参加している異業種交流会Kyoohoo!?(キョフー)の会長をつとめているんですね?

Kyoohoo?!(キョフー)は毎年、ニューヨークの国際ギフトフェアに出展しています。続けて参加することにより、ようやく出展費用を回収できるくらいになってきました。去年、一昨年あたりから芽が出てきたのを実感しています。続けることによって日本とアメリカの商習慣の違いや、同じところが見えてくるようになりました。商売は、アメリカといえど結局は人に尽きるということです。

それと風呂敷に関して言えば、外国人と日本の若い人は似ているのではないかと考えています。風呂敷を見たことがない、使ったことがないという意味では変わりがありません。日本人でもそのような方が増えています。
外国の方は先入観がないので、逆に新しいアイデアやヒントを貰えるのではないかと期待しています。とはいえ風呂敷もずっと以前から海外で紹介されているので、そう簡単なものでないことも事実です。
――マルタカの経営理念はどのようなものなのですか?

そうしたらその若い留学生は、「なんでやめないのです?中国であれば絶対やめていますよ」と言うのです。
当社は風呂敷屋です。伝統や儀礼的なものも含めて風呂敷は良いものだと思うし、それを残していきたいと思います。商機は充分にあると思っています。
風呂敷は物を包むだけでなく、心を包み伝える道具です。ひとを思いやる気持ちを包んで相手に贈るという意味が隠されているのです。風呂敷が見直されることで日本をよくしていければと

その取り組みのひとつとして当社では風呂敷で地雷廃止の募金をはじめました。カンボジアで1メートル四方をきれいにして地雷をなくすのに100円かかるとインターネットで見て思いつきました。
実は風呂敷にはちょうど同じ1メートル四方=三巾の大きさのものがあります。「難民を助ける会」という団体が地雷廃絶に取り組んでおり、そこと協力してひとつ買ってもらう度に100円募金をいただくようなシステムを作りました。
風呂敷は「心を包む道具」です。少しでも困っている方の役に立てれば、
これをきっかけにひとりでも多くの方が地雷の問題に興味を持っていただければと考えています。
――京都という町をどう思いますか?
京都はたいへん懐が深いところだと思います。
伝統のある老舗から最先端の企業まで、良いものもあれば悪いものもある。
玉石金剛ですね。その中で本当にいいものだけが残っていくのが京都です。
先日、バスに乗っていると観光客があの店の対応なんやと言っているのを聞いたのですが、
そういう言葉を聴くと寂しいですね。
いろいろと新しいものが出てくるものが全て良いものであるはずはないのですが、
みんなが切磋琢磨して、悪いところは退場していき、
良いものだけが残る仕組みであって欲しいとは思います。
高い志をもっている人がたくさん居て、京都のもつポテンシャルは非常に高いと思います。
今まで1200年以上そうだったように、老舗というだけで生き残っているわけではなく、
やはり残るだけの理由があって、京都の町で認められ残っているのです。
■株式会社マルタカHP 「京都・いーふろしきや」
■丸和商業株式会社HP
■財団法人 京都産業21HP
■難民を助ける会HP
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2009年06月03日
風呂敷をもっと生活の中で使ってもらいたいですね。
第18回 株式会社マルタカ 代表取締役 林 利治 vol.1

株式会社井助商店の沖野社長から、「温厚な方でみんなの意見をちゃんと聞いてひとつのものを作り上げていくところがあって、たいへん信頼できます」と紹介をいただいたマルタカの林社長です。マルタカは風呂敷の製造・卸・販売を主に手がけ、早くからネット販売にも積極的に取り組んでいます。また林社長は異業種交流会Kyoohoo!?(キョフー)の会長も務めています。
――林社長はマルタカの他に、丸和商業株式会社の代表も務められているのですね?
はい。元は丸和商業が母体なのです。
丸和商業は風呂敷の製造・卸の会社なのですが、
販売ルートを新しく開拓するために立ち上げたのがマルタカです。
販売先を変えて、ふたつの会社の役割を分担しています。
丸和商業の創業は戦後の昭和24年。
先代の社長が亡くなったあと、当時、丸和商業に勤めていた私の父が会社を継ぐ形になりました。
――ずっと風呂敷をメインでやっているのですか?
マルタカに私が入社した頃は風呂敷以外にタオルや寝装品などギフト商品を多く扱っていました。
ギフトの分野と風呂敷でちょうど50%ずつくらいだったと思います。
でもうちはやっぱり風呂敷屋なので、自社の強い分野でたたかうべきだということで、
風呂敷に重点を置くようになりました。
ちょうど中国から安いタオルが入ってくるようになって、
値段ではとても適わなくなったというのもあります。
風呂敷中心に業態をシフトしていく上で、
当然、風呂敷ではどこへ行っても負けないという気概もあります。
――以前、風呂敷が日用品だった時代があったと聞いたことがあるのですが?
そうですね。なんでも風呂敷で包んでいた時代がありました。
残念なことなのですが、そうした戦前戦後の頃の日用品としての風呂敷は
もうなくなってしまったではないかと思います。
最近でこそ、いろいろな和物屋さんとかで風呂敷をみかけるようになりましたが、
一時はいったいどこで売っているの?というような感じでした。
ただ現在もお店に並んでいるのを見かけても、
町なかで風呂敷を使っている人は殆ど見ることがありません。
和の文化が見直されていることもあって、
最近は様々な方が風呂敷包み方考えて発表されています。
それに加えて、どういうシーンで風呂敷を使うことができるのか?
風呂敷で何かできないかと私たちも常に考えています。
たとえば結納のときに風呂敷を使うシーンはイメージできるのですが、
他のシーンでも、もっともっと使うイメージが出来なければなりません。
やっぱり風呂敷をもっと生活の中で使ってもらいたいですね。
■株式会社マルタカHP 「京都・いーふろしきや」
■丸和商業株式会社HP
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】

株式会社井助商店の沖野社長から、「温厚な方でみんなの意見をちゃんと聞いてひとつのものを作り上げていくところがあって、たいへん信頼できます」と紹介をいただいたマルタカの林社長です。マルタカは風呂敷の製造・卸・販売を主に手がけ、早くからネット販売にも積極的に取り組んでいます。また林社長は異業種交流会Kyoohoo!?(キョフー)の会長も務めています。
――林社長はマルタカの他に、丸和商業株式会社の代表も務められているのですね?
はい。元は丸和商業が母体なのです。
丸和商業は風呂敷の製造・卸の会社なのですが、
販売ルートを新しく開拓するために立ち上げたのがマルタカです。
販売先を変えて、ふたつの会社の役割を分担しています。
丸和商業の創業は戦後の昭和24年。
先代の社長が亡くなったあと、当時、丸和商業に勤めていた私の父が会社を継ぐ形になりました。
――ずっと風呂敷をメインでやっているのですか?
マルタカに私が入社した頃は風呂敷以外にタオルや寝装品などギフト商品を多く扱っていました。
ギフトの分野と風呂敷でちょうど50%ずつくらいだったと思います。
でもうちはやっぱり風呂敷屋なので、自社の強い分野でたたかうべきだということで、
風呂敷に重点を置くようになりました。
ちょうど中国から安いタオルが入ってくるようになって、
値段ではとても適わなくなったというのもあります。
風呂敷中心に業態をシフトしていく上で、
当然、風呂敷ではどこへ行っても負けないという気概もあります。
――以前、風呂敷が日用品だった時代があったと聞いたことがあるのですが?
そうですね。なんでも風呂敷で包んでいた時代がありました。
残念なことなのですが、そうした戦前戦後の頃の日用品としての風呂敷は
もうなくなってしまったではないかと思います。
最近でこそ、いろいろな和物屋さんとかで風呂敷をみかけるようになりましたが、
一時はいったいどこで売っているの?というような感じでした。
ただ現在もお店に並んでいるのを見かけても、
町なかで風呂敷を使っている人は殆ど見ることがありません。
和の文化が見直されていることもあって、
最近は様々な方が風呂敷包み方考えて発表されています。
それに加えて、どういうシーンで風呂敷を使うことができるのか?
風呂敷で何かできないかと私たちも常に考えています。
たとえば結納のときに風呂敷を使うシーンはイメージできるのですが、
他のシーンでも、もっともっと使うイメージが出来なければなりません。
やっぱり風呂敷をもっと生活の中で使ってもらいたいですね。
■株式会社マルタカHP 「京都・いーふろしきや」
■丸和商業株式会社HP
■株式会社マルタカ 林利治 【1】 >> 【2】 >> 【3】