2009年10月14日
いつ行っても京都っておもしろいな、と言われるようになれば。
第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.3

――京都の活性化についてどう思いますか?
京都への旅行者、観光客を増やそうと思ったら個人でやってもしかたがありません。
国や自治体などの行政が動かないと。
例えば、2003年に始まった花灯路があります。
東山で7年、嵐山で4年、東山の方が100万人、
嵐山が70~80万人に観光客が集まるイベントになりました。
個人でできることは限られています。
うちの旅館が宿泊料金を半額にしました、1/3にしましたといったところで、
京都の他所の旅館からうちの旅館に宿泊先を変える程度のものでしかありません。
九州へ旅行に行きたいと思っていたひとを京都に来てもらうようにはできません。
自治体が率先してすすめる企画に対して民間として協力していく姿勢が必要なのです。
広報にしても自治体任せではなく、
今であればホームページで積極的にとりあげて宣伝に協力することもできます。
8月22日に、すぐ近くの姉小路で「姉小路行灯会」という催しを開催しています。
一昨年からJTBに提案して、それに合わせるようにツアーを組んでいます。
「花月」さんという近所の旅館に能舞台があるので、そこで狂言を観ていただきます。
食事をして、旅館のものが格子の町家をご案内し、姉小路へ行き自由に散策していただきます。
そういう企画に協力、サポートをしています。
京都の8月は大文字の送り火以外に何もないので…。
花灯路も毎年、スタッフのジャンパーを着てちらしを配るなどの手伝いをしています。
いつ行っても京都っておもしろいな、と言われるようにしたいですね。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を小野社長が案内する場合、どこに案内しますか?
私の好きなところは二条城。二条城の御殿の中がいちばんおすすめです。
それと、ここはということではないのですが、
いつも当旅館を訪れた方におすすめするコースがあります。
京都の観光地は大きく三つのゾーンに分けられます。
東山、嵐山嵯峨野、そして市内北部、三千院のある大原あたり。
そのなかでも清水から二年坂、産寧坂を通ってずっと一本道を歩き、
突き当たりの平安神宮まで行き、そこから南禅寺、
哲学の道、銀閣寺まで歩くコースがおすすめですね。
道すがら高台寺や知恩院、青蓮院などのお寺もたくさんありますし、
一日ゆっくり歩いていける距離です。
もし歩き疲れたときには、大通りもすぐなので、タクシーを拾うこともできます。
春や秋のシーズンに高台寺は夜間のライトップをしています。
池にサクラや紅葉、ライトが写っているのは本当にきれいですよ。
大きな池、水があるというのがポイントですね。
――それでは、次ぎに紹介していただく北原社長はどんな方ですか?
私は今、日本観光旅館連盟の京都の会長をしているのですが、
北原社長は国際観光旅館組合の京都の会長をしています。
僕より二つ上なのですが、弁がたち、たいへん面倒見もよく、
業界のために、仕事をしっかりやってくれている方です。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年8月5日取材)
■二条城HP
■高台寺HP
*********************************
株式会社綿善
京都市中京区柳馬場通六角下ル
代表取締役 小野善三
電話:(075)223-0111
FAX:(075)223-0112
HP:http://www.watazen.com
■株式会社綿善 小野善三 【1】 >> 【2】 >> 【3】

――京都の活性化についてどう思いますか?
京都への旅行者、観光客を増やそうと思ったら個人でやってもしかたがありません。
国や自治体などの行政が動かないと。
例えば、2003年に始まった花灯路があります。
東山で7年、嵐山で4年、東山の方が100万人、
嵐山が70~80万人に観光客が集まるイベントになりました。
個人でできることは限られています。
うちの旅館が宿泊料金を半額にしました、1/3にしましたといったところで、
京都の他所の旅館からうちの旅館に宿泊先を変える程度のものでしかありません。
九州へ旅行に行きたいと思っていたひとを京都に来てもらうようにはできません。
自治体が率先してすすめる企画に対して民間として協力していく姿勢が必要なのです。
広報にしても自治体任せではなく、
今であればホームページで積極的にとりあげて宣伝に協力することもできます。
8月22日に、すぐ近くの姉小路で「姉小路行灯会」という催しを開催しています。
一昨年からJTBに提案して、それに合わせるようにツアーを組んでいます。
「花月」さんという近所の旅館に能舞台があるので、そこで狂言を観ていただきます。
食事をして、旅館のものが格子の町家をご案内し、姉小路へ行き自由に散策していただきます。
そういう企画に協力、サポートをしています。
京都の8月は大文字の送り火以外に何もないので…。
花灯路も毎年、スタッフのジャンパーを着てちらしを配るなどの手伝いをしています。
いつ行っても京都っておもしろいな、と言われるようにしたいですね。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を小野社長が案内する場合、どこに案内しますか?
私の好きなところは二条城。二条城の御殿の中がいちばんおすすめです。
それと、ここはということではないのですが、
いつも当旅館を訪れた方におすすめするコースがあります。
京都の観光地は大きく三つのゾーンに分けられます。
東山、嵐山嵯峨野、そして市内北部、三千院のある大原あたり。
そのなかでも清水から二年坂、産寧坂を通ってずっと一本道を歩き、
突き当たりの平安神宮まで行き、そこから南禅寺、
哲学の道、銀閣寺まで歩くコースがおすすめですね。
道すがら高台寺や知恩院、青蓮院などのお寺もたくさんありますし、
一日ゆっくり歩いていける距離です。
もし歩き疲れたときには、大通りもすぐなので、タクシーを拾うこともできます。
春や秋のシーズンに高台寺は夜間のライトップをしています。
池にサクラや紅葉、ライトが写っているのは本当にきれいですよ。
大きな池、水があるというのがポイントですね。
――それでは、次ぎに紹介していただく北原社長はどんな方ですか?
私は今、日本観光旅館連盟の京都の会長をしているのですが、
北原社長は国際観光旅館組合の京都の会長をしています。
僕より二つ上なのですが、弁がたち、たいへん面倒見もよく、
業界のために、仕事をしっかりやってくれている方です。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2009年8月5日取材)
■二条城HP
■高台寺HP
*********************************

京都市中京区柳馬場通六角下ル
代表取締役 小野善三
電話:(075)223-0111
FAX:(075)223-0112
HP:http://www.watazen.com
■株式会社綿善 小野善三 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2009年10月13日
人と人との触れ合いが大切です。
第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.2

――アメリカからの留学生をアルバイトとして採用されていたそうですね?
はい。イギリスの代理店と提携を結んだのと同じ頃、
同志社大学に留学にきていたアメリカの女性をフロントスタッフとして採用しました。
それは英語を3年から5年も習っているにも関わらずまったく喋れない修学旅行生が
少しでも英語に触れる機会になれば、と思ったからです。
当時、京都に来る修学旅行生に向けて「外国人と喋ってみよう」しおりがありました。
京都には海外からの観光客が多く、修学旅行生が観光地などで、
外国のひとに声をかけて喋ってみようということです。
私は観光地などで偶然外国人と会うよりも旅館で喋る機会を作ればと思ったのです。
それが好評で、その女性が大学を卒業して帰国した後も、何年か続けて、留学生を雇っていました。
期間も最初は4月から6月と、9月から10月の修学旅行に合わせたものだったのを
年間を通して働いてもらうようになりました。
留学生がフロントに立っている様子をホームページにアップすると、
先のイギリスの代理店からの紹介もあり次第に海外からの宿泊客が増えてきました。
現在、海外からの宿泊客は殆ど欧米の方です。
中国や韓国などアジアの方は少なく1%くらいです。
2005年には1200人だったのが2006年には2400人、
その次が3600人、去年は5500人とこの5年で5倍くらいに増えています。
英語を話せるスタッフも増えました。
フロントスタッフの5名の内、3名はもう完全に任せることができます。
一番若い28歳のスタッフは入社当初英会話ができなかったのですが、
周囲がわかるくらいよく勉強し、今では英文でメールを送ることもできるようになりました。
――小野社長のプロフィールを教えてください。
高校を卒業した昭和45年は大阪で万博があった年でした。
大阪にはほとんど宿泊拠点がなかったため、
京都に泊まって万博へ行くひとが多く、夏もいっぱいでした。
その頃、父が病気で亡くなり、大学へは進学せずそのまま旅館を手伝っていたのですが、
万博おわって、10月の終わりくらいに、「大学行きたいんやったら行くか」といわれて、
京都産業大学に入学しました。
大学を卒業して3年、熱海の旅館に修行に出されました。
母か、祖父の知り合いの旅館だったのですが、
預かってやるから来いと、もう否応なしにです(笑)。
最初から3年と決まっていたので、早く行けば、早く帰ってこられるのではと考え、
4回生の後期試験が終わったら卒業式も出ずに熱海に向いました。
初めての休暇で京都に戻ったときに大学へ行き、
学生証とひきかえに卒業証書と卒業アルバムをもらったのを覚えています。
結局、熱海には3年半くらい居ました。
昭和53年の6月に京都に戻り、代表には昭和59年に就きました。
それまで木造の旅館だったのを今の建物に建て替えるタイミングに合わせての就任でした。
そのときに資本を増やし有限会社を株式会社にしました。

――ホームページには創業当時からずっと受け継がれてきた言葉として「平穏 佳肴(かこう) 心地よし」とあげていますね。
はい。「平穏・佳肴・心地よし」を現代の言葉になおすと「安全・美味・快適」になります。
旅館業に限らず、どの商売でもいえるのですが、常連さん作りに徹しないといけないと思います。
また宿泊頂いた方が当社のセールスマンであると考えています。
京都に行ったけど、どこそこがよかった。あの旅館がよかった、
と宿泊された方に言っていただくようなおもてなしをしたいと思います。
海外の方だと「トリップアドバイザー」というサイトがあり、
いろいろな評価が一段階から五段階まであってランキングされます。
今、京都の旅館部門で8位なのですが、口コミ的にそのサイトを見て来てくれるひとも増えました。
お客さまが満足するのは当たり前のことです。
二度、三度と来てもらおうと思ったら感動してもらわないといけない。
そのためにどうすればいいのかということを常に考えています。
ホテルと違って旅館は人と人とのふれあいを大切にします。
客室係でもフロントでもお客さんと、ひと言ふた言しゃべりなさいと、いつも言っています。
ご案内した部屋に髪の毛が落ちてた。
「こんなん落ちてたで」と言われるのか、「どうしてくれんの」と言われるのか。
そこで「すいません」と謝って「まあええよ」と答えてもらえるのか。
やはり人と人との触れ合いが大切です。
「この旅館にはこういう仲居さんが居て、俺の名前をいってくれたら、ようしてくれる」と
紹介してもらえるような人間の触れ合いを中心にしていかないといけません。
ひとを大切にしたいですね。
■綿善旅館HP
■トリップアドバイザー
■株式会社綿善 小野善三 【1】 >>【2】>> 【3】

――アメリカからの留学生をアルバイトとして採用されていたそうですね?
はい。イギリスの代理店と提携を結んだのと同じ頃、
同志社大学に留学にきていたアメリカの女性をフロントスタッフとして採用しました。
それは英語を3年から5年も習っているにも関わらずまったく喋れない修学旅行生が
少しでも英語に触れる機会になれば、と思ったからです。
当時、京都に来る修学旅行生に向けて「外国人と喋ってみよう」しおりがありました。
京都には海外からの観光客が多く、修学旅行生が観光地などで、
外国のひとに声をかけて喋ってみようということです。
私は観光地などで偶然外国人と会うよりも旅館で喋る機会を作ればと思ったのです。
それが好評で、その女性が大学を卒業して帰国した後も、何年か続けて、留学生を雇っていました。
期間も最初は4月から6月と、9月から10月の修学旅行に合わせたものだったのを
年間を通して働いてもらうようになりました。
留学生がフロントに立っている様子をホームページにアップすると、
先のイギリスの代理店からの紹介もあり次第に海外からの宿泊客が増えてきました。
現在、海外からの宿泊客は殆ど欧米の方です。
中国や韓国などアジアの方は少なく1%くらいです。
2005年には1200人だったのが2006年には2400人、
その次が3600人、去年は5500人とこの5年で5倍くらいに増えています。
英語を話せるスタッフも増えました。
フロントスタッフの5名の内、3名はもう完全に任せることができます。
一番若い28歳のスタッフは入社当初英会話ができなかったのですが、
周囲がわかるくらいよく勉強し、今では英文でメールを送ることもできるようになりました。
――小野社長のプロフィールを教えてください。
高校を卒業した昭和45年は大阪で万博があった年でした。
大阪にはほとんど宿泊拠点がなかったため、
京都に泊まって万博へ行くひとが多く、夏もいっぱいでした。
その頃、父が病気で亡くなり、大学へは進学せずそのまま旅館を手伝っていたのですが、
万博おわって、10月の終わりくらいに、「大学行きたいんやったら行くか」といわれて、
京都産業大学に入学しました。
大学を卒業して3年、熱海の旅館に修行に出されました。
母か、祖父の知り合いの旅館だったのですが、
預かってやるから来いと、もう否応なしにです(笑)。
最初から3年と決まっていたので、早く行けば、早く帰ってこられるのではと考え、
4回生の後期試験が終わったら卒業式も出ずに熱海に向いました。
初めての休暇で京都に戻ったときに大学へ行き、
学生証とひきかえに卒業証書と卒業アルバムをもらったのを覚えています。
結局、熱海には3年半くらい居ました。
昭和53年の6月に京都に戻り、代表には昭和59年に就きました。
それまで木造の旅館だったのを今の建物に建て替えるタイミングに合わせての就任でした。
そのときに資本を増やし有限会社を株式会社にしました。

――ホームページには創業当時からずっと受け継がれてきた言葉として「平穏 佳肴(かこう) 心地よし」とあげていますね。
はい。「平穏・佳肴・心地よし」を現代の言葉になおすと「安全・美味・快適」になります。
旅館業に限らず、どの商売でもいえるのですが、常連さん作りに徹しないといけないと思います。
また宿泊頂いた方が当社のセールスマンであると考えています。
京都に行ったけど、どこそこがよかった。あの旅館がよかった、
と宿泊された方に言っていただくようなおもてなしをしたいと思います。
海外の方だと「トリップアドバイザー」というサイトがあり、
いろいろな評価が一段階から五段階まであってランキングされます。
今、京都の旅館部門で8位なのですが、口コミ的にそのサイトを見て来てくれるひとも増えました。
お客さまが満足するのは当たり前のことです。
二度、三度と来てもらおうと思ったら感動してもらわないといけない。
そのためにどうすればいいのかということを常に考えています。
ホテルと違って旅館は人と人とのふれあいを大切にします。
客室係でもフロントでもお客さんと、ひと言ふた言しゃべりなさいと、いつも言っています。
ご案内した部屋に髪の毛が落ちてた。
「こんなん落ちてたで」と言われるのか、「どうしてくれんの」と言われるのか。
そこで「すいません」と謝って「まあええよ」と答えてもらえるのか。
やはり人と人との触れ合いが大切です。
「この旅館にはこういう仲居さんが居て、俺の名前をいってくれたら、ようしてくれる」と
紹介してもらえるような人間の触れ合いを中心にしていかないといけません。
ひとを大切にしたいですね。
■綿善旅館HP
■トリップアドバイザー
■株式会社綿善 小野善三 【1】 >>【2】>> 【3】
2009年10月09日
京都ではオフにあたる夏と冬に海外から宿泊客を増やしています
第20回 株式会社綿善 代表取締役 小野善三 vol.1

株式会社鈴木松風堂の鈴木社長から、「いち早く外国人観光客をターゲットに見据え、海外からの観光客を受け入れるサービスを京都で始めた旅館の社長です。ユニークな発想でおもしろい切り口で旅館を経営されている方です」と紹介をいただいた株式会社綿善の小野社長です。綿善は江戸時代の創業。古きよき伝統をうけつぐ老舗旅館です。
――江戸時代に創業されたそうですね?
はい。創業は江戸時代の天保元年1830年です。それ以前には薬屋でした。
この辺りは室町も近く、地方から反物を仕入れに来る商人の方があって、
一晩泊めてくれませんか?というのから次第に商人宿として発展していきました。
ここは東海道筋の終点、三条大橋に近く、祇園や室町・西陣にも歩いていける便利なところで、
昔からある旅館はそういう成り立ちが多いようです。
今は修学旅行が多いですね。
たまたま新京極が近くにあったので、修学旅行生が増えてきました。
民宿に近いような小さな民家では大人数の修学旅行生を受け入れられないので、
戦後、修学旅行生用の旅館が次第に増えてきました。
ただ修学旅行も今は少子化の影響で減っているのが現状です。
以前は学年で5クラスあったような学校が、今は4クラスになっています。
ほとんどの学校は宿をその学校だけで独占したいので、
他の学校を入れることはありません。
なので、一年間に受け入れている学校数は減っていないのですが、
全体の宿泊人数が減っています。
ひとつの学校で100名宿泊していたのが、80名に減っているということです。
一年でいうと4月から6月と9月から11月が修学旅行と観光シーズンのピークです。
でもその山が低くなっている。
それではいけないので、京都では観光シーズンオフにあたる夏と冬に海外から宿泊客を増やし、
売上の谷が浅くなるようにしています。
――海外からの観光客を早い時期から受け入れていると、紹介を頂いた鈴木社長にうかがったのですが?
大きな部分はやはりインターネットです。
インターネットの黎明期にまだインターネットのこともよくわからないまま、
興味を持って見てみると、外国の情報を見るこができ、
広告媒体としておもしろいのでは、という感じがしました。
たまたまホームページの制作をしていた友人が居て、
ホームページの研究も兼ねて、当社のホームページを是非作らせて欲しいと言われ、
立ち上げることにしました。それが15年位前、90年代の中頃のことです。
当初から英語のページも用意していたのですが、
最初は海外からの問い合わせはありませんでした。
それから数年後、90年代の後半にイギリスの旅行代理店の日本支社の方が来られて、
日本への観光客を増やしたいのだが、京都で受け入れてくれるような旅館がほとんどないので、
提携して欲しいという話がありました。
その当時は英語がしゃべれるスタッフもいませんでした。
でも私は英語ができたので、やってみようかな、と思ったのです。
■綿善旅館HP
■株式会社綿善 小野善三 【1】 >> 【2】 >> 【3】

株式会社鈴木松風堂の鈴木社長から、「いち早く外国人観光客をターゲットに見据え、海外からの観光客を受け入れるサービスを京都で始めた旅館の社長です。ユニークな発想でおもしろい切り口で旅館を経営されている方です」と紹介をいただいた株式会社綿善の小野社長です。綿善は江戸時代の創業。古きよき伝統をうけつぐ老舗旅館です。
――江戸時代に創業されたそうですね?
はい。創業は江戸時代の天保元年1830年です。それ以前には薬屋でした。
この辺りは室町も近く、地方から反物を仕入れに来る商人の方があって、
一晩泊めてくれませんか?というのから次第に商人宿として発展していきました。
ここは東海道筋の終点、三条大橋に近く、祇園や室町・西陣にも歩いていける便利なところで、
昔からある旅館はそういう成り立ちが多いようです。
今は修学旅行が多いですね。
たまたま新京極が近くにあったので、修学旅行生が増えてきました。
民宿に近いような小さな民家では大人数の修学旅行生を受け入れられないので、
戦後、修学旅行生用の旅館が次第に増えてきました。
ただ修学旅行も今は少子化の影響で減っているのが現状です。
以前は学年で5クラスあったような学校が、今は4クラスになっています。
ほとんどの学校は宿をその学校だけで独占したいので、
他の学校を入れることはありません。
なので、一年間に受け入れている学校数は減っていないのですが、
全体の宿泊人数が減っています。
ひとつの学校で100名宿泊していたのが、80名に減っているということです。
一年でいうと4月から6月と9月から11月が修学旅行と観光シーズンのピークです。
でもその山が低くなっている。
それではいけないので、京都では観光シーズンオフにあたる夏と冬に海外から宿泊客を増やし、
売上の谷が浅くなるようにしています。
――海外からの観光客を早い時期から受け入れていると、紹介を頂いた鈴木社長にうかがったのですが?
大きな部分はやはりインターネットです。
インターネットの黎明期にまだインターネットのこともよくわからないまま、
興味を持って見てみると、外国の情報を見るこができ、
広告媒体としておもしろいのでは、という感じがしました。
たまたまホームページの制作をしていた友人が居て、
ホームページの研究も兼ねて、当社のホームページを是非作らせて欲しいと言われ、
立ち上げることにしました。それが15年位前、90年代の中頃のことです。
当初から英語のページも用意していたのですが、
最初は海外からの問い合わせはありませんでした。
それから数年後、90年代の後半にイギリスの旅行代理店の日本支社の方が来られて、
日本への観光客を増やしたいのだが、京都で受け入れてくれるような旅館がほとんどないので、
提携して欲しいという話がありました。
その当時は英語がしゃべれるスタッフもいませんでした。
でも私は英語ができたので、やってみようかな、と思ったのです。
■綿善旅館HP
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