2008年03月28日
お茶が京都の産業・文化の中心にあります。
第4回 株式会社伴戸商店 伴戸恒夫社長 vol.3
――社長は三代目になるんですね?
当社は昭和22年に祖父が滋賀で創業し、まもなく京都、西陣に移ってきました。
昭和45年に今の自社ビルが建ちました。
そのとき西陣織会館がたっているこのビルの南側にはバッティングセンターだったんですよ。
小さな頃はこの自社ビルの上に住んでいたので、忙しいときはよく手伝わされました。
僕は同志社大学に通っていたのですが、近かったので、
休講の日には帰宅して手伝っていました。
同志社大学を卒業して5年間は人形の島津で修行しました。
昭和61年に伴戸商店に入社し、平成14年に代表になりました。
昔は人形の比率が今よりもっと高く季節により繁忙期がはっきりとしていました。
ひな祭り前の冬は忙しく、五月人形の終わった夏はゆったりとした業界でした。

――西陣は京都の伝統産業の集まる地なのですが、
京都の活性化についてはどのようにお考えですか?
京都の活性化については熱い思いがあります。
京都の産業・文化の中心に何があるかわかりますか?それはお茶です。
実は40歳になって正式にお茶を習いはじめたのですが、
お茶が京都の中心にあることを再認識しました。
お茶会という機会があるので、着物を着ます、帯をしめます。
お茶会にいくと金らんを使った古帛紗・帛懐紙入がお茶の道具としてあります。
お茶会はたいていお寺さんであり、庭はきれいに造園されています。
茶席に並ぶ京菓子や陶器、料理。全部、お茶に関わりがあって、
京都の高い付加価値を作り出しています。
伝統産業の粋を極めたの空間がお茶の席です。
できるだけお茶やお茶会にふれる機会を増やし目を養うことが大切です。
着物が売れないという前に西陣のひとはみんなお茶をやらないと。
そういうことを子供の頃から教えないといけません。
ライフスタイルのなかに自然にお茶があるという風にしないと伝統産業がすたれてしまいます。
私も窮屈やとか足がしびれるという先入観があったのですが、
近くに三千家もあって、どんなところなんやろ?と興味をもったのが最初でした。
ところが、はじめていったとき窮屈どころか、ストレスの発散になったのです。
行くのいややなぁと思ってたのが先生に「はいいらしゃい、ようきはりましたな」と言うてもろて、
すーっとストレスがなくなっていきました。
忙しいひとほど、お茶やらなあきまへん。
誰もいない静かなところに身をおくと心があらわれます。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、
初めて京都を訪れる方を伴戸社長が案内する場合、どこに案内しますか?
東福寺の塔頭のひとつ光明院です。
普通、塔頭は非公開がほとんどです。光明院は非公開だけど、公開。
門前に竹筒があって、そこにお金を入れたらどうぞという感じです。
庭の石の配列を見ていると、すべての穢れをなくして謙虚な心に帰ることができます。
東福寺の南にあって、京阪で行くと東福寺駅より鳥羽街道駅の方が近くになります。
ぜひ訪れてみてください。ほんまええとこですわ。
――それでは、次ぎに紹介していただく負野社長はどんな方ですか?
伝統産業であるお香にかかわりながらたいへん柔軟な発想の持ち主です。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2008年3月12日取材)
■西陣織会館:西陣WEB HP
■東福寺光明院HP
*********************************
株式会社伴戸商店
京都府京都市上京区堀川通今出川南入
代表取締役社長 伴戸恒夫
電話:(075)431-3101
FAX:(075)415-1216
HP:http://www.e-bando.co.jp/
■株式会社伴戸商店 伴戸恒夫 【1】 >> 【2】 >> 【3】
――社長は三代目になるんですね?
当社は昭和22年に祖父が滋賀で創業し、まもなく京都、西陣に移ってきました。
昭和45年に今の自社ビルが建ちました。
そのとき西陣織会館がたっているこのビルの南側にはバッティングセンターだったんですよ。
小さな頃はこの自社ビルの上に住んでいたので、忙しいときはよく手伝わされました。
僕は同志社大学に通っていたのですが、近かったので、
休講の日には帰宅して手伝っていました。
同志社大学を卒業して5年間は人形の島津で修行しました。
昭和61年に伴戸商店に入社し、平成14年に代表になりました。
昔は人形の比率が今よりもっと高く季節により繁忙期がはっきりとしていました。
ひな祭り前の冬は忙しく、五月人形の終わった夏はゆったりとした業界でした。
――西陣は京都の伝統産業の集まる地なのですが、
京都の活性化についてはどのようにお考えですか?
京都の活性化については熱い思いがあります。
京都の産業・文化の中心に何があるかわかりますか?それはお茶です。
実は40歳になって正式にお茶を習いはじめたのですが、
お茶が京都の中心にあることを再認識しました。
お茶会という機会があるので、着物を着ます、帯をしめます。
お茶会にいくと金らんを使った古帛紗・帛懐紙入がお茶の道具としてあります。
お茶会はたいていお寺さんであり、庭はきれいに造園されています。
茶席に並ぶ京菓子や陶器、料理。全部、お茶に関わりがあって、
京都の高い付加価値を作り出しています。
伝統産業の粋を極めたの空間がお茶の席です。
できるだけお茶やお茶会にふれる機会を増やし目を養うことが大切です。
着物が売れないという前に西陣のひとはみんなお茶をやらないと。
そういうことを子供の頃から教えないといけません。
ライフスタイルのなかに自然にお茶があるという風にしないと伝統産業がすたれてしまいます。
私も窮屈やとか足がしびれるという先入観があったのですが、
近くに三千家もあって、どんなところなんやろ?と興味をもったのが最初でした。
ところが、はじめていったとき窮屈どころか、ストレスの発散になったのです。
行くのいややなぁと思ってたのが先生に「はいいらしゃい、ようきはりましたな」と言うてもろて、
すーっとストレスがなくなっていきました。
忙しいひとほど、お茶やらなあきまへん。
誰もいない静かなところに身をおくと心があらわれます。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、
初めて京都を訪れる方を伴戸社長が案内する場合、どこに案内しますか?
東福寺の塔頭のひとつ光明院です。
普通、塔頭は非公開がほとんどです。光明院は非公開だけど、公開。
門前に竹筒があって、そこにお金を入れたらどうぞという感じです。
庭の石の配列を見ていると、すべての穢れをなくして謙虚な心に帰ることができます。
東福寺の南にあって、京阪で行くと東福寺駅より鳥羽街道駅の方が近くになります。
ぜひ訪れてみてください。ほんまええとこですわ。
――それでは、次ぎに紹介していただく負野社長はどんな方ですか?
伝統産業であるお香にかかわりながらたいへん柔軟な発想の持ち主です。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2008年3月12日取材)
■西陣織会館:西陣WEB HP
■東福寺光明院HP
*********************************
京都府京都市上京区堀川通今出川南入
代表取締役社長 伴戸恒夫
電話:(075)431-3101
FAX:(075)415-1216
HP:http://www.e-bando.co.jp/
■株式会社伴戸商店 伴戸恒夫 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2008年03月27日
「金らん」の素材としての魅力は未知数です。
第4回 株式会社伴戸商店 伴戸恒夫社長 vol.2
――これまでにない素材としての「金らん」がクローズアップされてるようですね?
よさこいソーランの衣装にも使われたり、コスプレ屋さんにも卸しています。
また四条麩屋町のノムラテーラーさんとも最近お付き合いするようになりました。
四条通りに面した入り口のところにいろいろな柄の「金らん」を置いてくれています。
ノムラテーラーさんの方からサンタクロースをピックアップしたクリスマスの柄や
髑髏やくもの巣を入れた柄のものは作れないかと依頼されるようになりました。

これまでにないものといえば、アシックスのスニーカーに使用されました。
オニツカタイガーの海外限定スニーカーなので、日本では売っていません。
そのスニーカーは靴底に柄名を漢字でデザインしたり、
お守りのようなタグをつけたり和風を前面に打ち出しています。
これまで「金らん」を靴の素材として使うことはなかったので、
摩擦や日焼けの試験を何度も繰り返しました。強度を強くするために糸の組織をかえたり、
アクリル樹脂を流し込んだりする加工をしています。
摩擦の耐久度を試すテストは2万回を超えないといけないといけないのですが、
8千回目でダメになったこともありました。
強度の強い「金らん」の製品化に成功したため、また新しく用途が広がりつつあります。
――伝統的な素材の「金らん」が新しい素材として注目を浴びるようになったのはどうしてですか?
東京のショーには積極的に出展するようにしています。
そこでの新しい出会いは元気の素です。アシックスさんともそこで出会いました。
すぐに取引に結びつくことがなくても、
ショーの後、何年もたってから連絡があり、取引がはじまることもあります。
「金らん」の素材としての魅力は未知数で、
自分の発想以上のコラボレーションに繋がることもあるので、
ショーに出ていろいろな方に「金らん」を見ていただくことは大切だと思っています。
また得意先とのパイプを太くするようにいつも心掛けています。
パイプが太くなることにより、「実はこういうのが欲しいねん」
「こういうの作ってくれないか」という注文を受けるようになります。
今までの「金らん」はどちらかといえば厳かなものがほとんどでした。
でも今、当社で取り扱いの比率が高くなっている和雑貨に使われる柄は
「うぁ、かわいい!」と言われるものが一番です。
金魚やウサギ、桜の柄。鳥獣戯画、風神雷神をデザインしたもの、
今年は源氏物語千年紀にあたるので、それにちなんだデザインも用意しました。
「金らん」は高付加価値商品なので同じデザインでも「金らん」を使っていると
その商品の価値を高めることができます。
得意先には「できるだけ金らんを使ってもうけてください」と言ってます。
「うまいこというなぁ」と返されますが(笑)。
――オニツカタイガーのスニーカーをはじめとして海外でも注目されているようですね?
海外では特に桜の柄が好まれます。桜は日本の象徴なんですね。
日本では桜=春なのですが、海外仕様では桜をアレンジして春夏秋冬の四季を表現します。
「金らん」をつかった和雑貨が好まれているようです。
外国の方がイメージするきらびやかな日本と「金らん」がうまく合致したんでしょうねぇ。
■株式会社伴戸商店HP
■株式会社ノムラテーラーHP
■オニツカタイガーHP
■株式会社伴戸商店 伴戸恒夫 【1】 >> 【2】 >> 【3】
――これまでにない素材としての「金らん」がクローズアップされてるようですね?
よさこいソーランの衣装にも使われたり、コスプレ屋さんにも卸しています。
また四条麩屋町のノムラテーラーさんとも最近お付き合いするようになりました。
四条通りに面した入り口のところにいろいろな柄の「金らん」を置いてくれています。
ノムラテーラーさんの方からサンタクロースをピックアップしたクリスマスの柄や
髑髏やくもの巣を入れた柄のものは作れないかと依頼されるようになりました。
これまでにないものといえば、アシックスのスニーカーに使用されました。
オニツカタイガーの海外限定スニーカーなので、日本では売っていません。
そのスニーカーは靴底に柄名を漢字でデザインしたり、
お守りのようなタグをつけたり和風を前面に打ち出しています。
これまで「金らん」を靴の素材として使うことはなかったので、
摩擦や日焼けの試験を何度も繰り返しました。強度を強くするために糸の組織をかえたり、
アクリル樹脂を流し込んだりする加工をしています。
摩擦の耐久度を試すテストは2万回を超えないといけないといけないのですが、
8千回目でダメになったこともありました。
強度の強い「金らん」の製品化に成功したため、また新しく用途が広がりつつあります。
――伝統的な素材の「金らん」が新しい素材として注目を浴びるようになったのはどうしてですか?
東京のショーには積極的に出展するようにしています。
そこでの新しい出会いは元気の素です。アシックスさんともそこで出会いました。
すぐに取引に結びつくことがなくても、
ショーの後、何年もたってから連絡があり、取引がはじまることもあります。
「金らん」の素材としての魅力は未知数で、
自分の発想以上のコラボレーションに繋がることもあるので、
ショーに出ていろいろな方に「金らん」を見ていただくことは大切だと思っています。
また得意先とのパイプを太くするようにいつも心掛けています。
パイプが太くなることにより、「実はこういうのが欲しいねん」
「こういうの作ってくれないか」という注文を受けるようになります。
今までの「金らん」はどちらかといえば厳かなものがほとんどでした。
でも今、当社で取り扱いの比率が高くなっている和雑貨に使われる柄は
「うぁ、かわいい!」と言われるものが一番です。
金魚やウサギ、桜の柄。鳥獣戯画、風神雷神をデザインしたもの、
今年は源氏物語千年紀にあたるので、それにちなんだデザインも用意しました。
「金らん」は高付加価値商品なので同じデザインでも「金らん」を使っていると
その商品の価値を高めることができます。
得意先には「できるだけ金らんを使ってもうけてください」と言ってます。
「うまいこというなぁ」と返されますが(笑)。
――オニツカタイガーのスニーカーをはじめとして海外でも注目されているようですね?
海外では特に桜の柄が好まれます。桜は日本の象徴なんですね。
日本では桜=春なのですが、海外仕様では桜をアレンジして春夏秋冬の四季を表現します。
「金らん」をつかった和雑貨が好まれているようです。
外国の方がイメージするきらびやかな日本と「金らん」がうまく合致したんでしょうねぇ。
■株式会社伴戸商店HP
■株式会社ノムラテーラーHP
■オニツカタイガーHP
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2008年03月26日
「金らん」は何に化けるかわかりません。
第4回 株式会社伴戸商店 伴戸恒夫社長 vol.1

株式会社吉田治市商店の吉田光宏社長から京都の商人らしいコテコテの西陣の社長さんと
紹介いただいたのは、株式会社伴戸商店の伴戸恒夫社長です。
株式会社伴戸商店は西陣にあって、伝統的な織物の「金らん」を
現代のテキスタイルの素材として発信している企業です。
――西陣といえば帯や着物をイメージするのですが「金らん」とはどういうものですか?
西陣の織物はいくつかのセクションにわけることができます。
代表的にものに「帯」、「着物」、そして「金らん」があります。
帯や着物は完成品なのですが、「金らん」はあくまで材料です。
一般的には金箔・銀箔や金糸・銀糸に色糸を交えて
紋様が浮き出るように織った紋織物のひとつですが
金糸や銀糸をつかっていなくても総称として「金らん」と呼びます。
「金らん」もたくさんのセクションに分かれています。
人形、仏具、掛け軸の表具、仏具、和装小物、香道具、茶道具など。
当社は人形の割合が約半分。53%かな。
雛人形を中心に五月人形や羽子板の衣装など。
当社は「金らん」のメーカーなので、
素材としての「金らん」を反物として人形メーカーや仏具、
茶道具メーカーに卸しています。
「帯」は完成品なのですが、「金らん」はあくまで材料です。
何に化けるかわかりません。いろんなものに化けるありがたい商品です。
――入り口のところに大河ドラマ「篤姫」のポスターが貼ってありましたね。
時代劇の衣装でも当社の「金らん」は多くご利用いただいてます。
特にNHKの大河ドラマはよく使ってもらってますね。
今、放送されている「篤姫」にも「金らん」を使った衣装がつかわれています。
当社は在庫が5000種類以上あり、そこが他社にはない強みです。
NHKの関係の方が来て、好みの生地を選んでいきます。
NHKや映画界とのつながりから紹介をいただき「ラストサムライ」の衣装にも協力しました。
在庫が5000種類といいましたが、毎年200以上の新しい柄をリリースしています。
西陣で「金らん」を扱っている企業は80社ほどあるのですが、
そのほとんどがお坊さんが着る法衣や表具などわりあい地味な「金らん」を中心に展開しています。
きらびやかさを打ち出した「金らん」では当社が一番です。
■株式会社伴戸商店HP
■大河ドラマ 「篤姫」 HP
■株式会社伴戸商店 伴戸恒夫 【1】 >> 【2】 >> 【3】

株式会社吉田治市商店の吉田光宏社長から京都の商人らしいコテコテの西陣の社長さんと
紹介いただいたのは、株式会社伴戸商店の伴戸恒夫社長です。
株式会社伴戸商店は西陣にあって、伝統的な織物の「金らん」を
現代のテキスタイルの素材として発信している企業です。
――西陣といえば帯や着物をイメージするのですが「金らん」とはどういうものですか?
西陣の織物はいくつかのセクションにわけることができます。
代表的にものに「帯」、「着物」、そして「金らん」があります。
帯や着物は完成品なのですが、「金らん」はあくまで材料です。
一般的には金箔・銀箔や金糸・銀糸に色糸を交えて
紋様が浮き出るように織った紋織物のひとつですが
金糸や銀糸をつかっていなくても総称として「金らん」と呼びます。
「金らん」もたくさんのセクションに分かれています。
人形、仏具、掛け軸の表具、仏具、和装小物、香道具、茶道具など。
当社は人形の割合が約半分。53%かな。
雛人形を中心に五月人形や羽子板の衣装など。
当社は「金らん」のメーカーなので、
素材としての「金らん」を反物として人形メーカーや仏具、
茶道具メーカーに卸しています。
「帯」は完成品なのですが、「金らん」はあくまで材料です。
何に化けるかわかりません。いろんなものに化けるありがたい商品です。
――入り口のところに大河ドラマ「篤姫」のポスターが貼ってありましたね。
時代劇の衣装でも当社の「金らん」は多くご利用いただいてます。
特にNHKの大河ドラマはよく使ってもらってますね。
今、放送されている「篤姫」にも「金らん」を使った衣装がつかわれています。
当社は在庫が5000種類以上あり、そこが他社にはない強みです。
NHKの関係の方が来て、好みの生地を選んでいきます。
NHKや映画界とのつながりから紹介をいただき「ラストサムライ」の衣装にも協力しました。
在庫が5000種類といいましたが、毎年200以上の新しい柄をリリースしています。
西陣で「金らん」を扱っている企業は80社ほどあるのですが、
そのほとんどがお坊さんが着る法衣や表具などわりあい地味な「金らん」を中心に展開しています。
きらびやかさを打ち出した「金らん」では当社が一番です。
■株式会社伴戸商店HP
■大河ドラマ 「篤姫」 HP
■株式会社伴戸商店 伴戸恒夫 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2008年03月07日
京都の奥の深さや本物の文化を発信したい。
第3回 株式会社吉田治市商店 吉田光宏社長 vol.3
――今期のテーマに「利・命・仁」という論語の言葉を掲げていますね。
論語に「子まれに利を言う、命と与にし、仁と与にす。」とあります。
「子(孔子)はまれに利益について言われた。その時には、常に天の命や、
人の道の本である仁に照らし合わせて話された。」という意味です。
企業は利益をあげなければなりません。
しかし、その利益は会社の使命に基づいたものであり、
人の道に沿ったものでなければなりません。
企業としてはいかに利益をあげていくかを今まで以上に真剣に考えねばなりません。
今、世の中はめまぐるしく変化していますが、その中で変えなければならないものは何か、
変えてはいけないものは何かを見極め、真剣に活動していくことが大切なのです。

――仏具メーカーとして京都の価値を感じることはありますか?
当社は京都で仏具を製作している恩恵を大きく受けています。
京都には技術力のある職人がたくさんいます。
技術の高い職人さんと仕事ができるメリットがあります。
また昔から培われた文化があり、それを自然と見て育っているので、
ものを見る目が備わっています。
この頃は京都のものに似せた京風のものが増えています。
そうではなく本当に京都から発信しているといえるものを作りたいと考えています。
京風というのは江戸時代に既にありました。
かって京都は日本でも最大の工業地帯で手工業が盛んな土地でした。
しかし江戸時代になり、地方で工業が発達し、
京都のものに似せた“似寄(により)の品”が地方でも作られるようになりました。
京ものに対して、国ものという言われ方をしました。
当時はその違いが明確にだったのですが、今はその違いが曖昧になっています。
本当に京都で作られたものが減っています。
本当に京都で作ったものをわかっていただく。
京都の奥の深さや本物の文化を発信することが、
今後も世界に向けて、京都が価値を持ち続ける上で必要なことだと思います。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、
初めて京都を訪れる方を吉田社長が案内する場合、どこに案内しますか?
私が京都のお寺を案内すると職業柄、専門的になりすぎておもしろくありません(笑)。
なので、やはり食べ物屋さんがいいですね。
和食に限らず京都はおいしいところが多いので、どこか一軒となると迷ってしまいすね。
――それでは、次ぎに紹介していただく伴戸社長はどんな方ですか?
やはり京都の伝統産業の関係で、京都の商人らしい、コテコテの西陣の社長さんです。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2008年2月19日取材)
*********************************
株式会社吉田治市商店
京都府京都市下京区松原通麩屋町西入
代表取締役社長 吉田光宏
電話:(075)341-1361
FAX:(075)343-1356
■株式会社吉田治市商店 吉田光宏 【1】 >> 【2】 >> 【3】
――今期のテーマに「利・命・仁」という論語の言葉を掲げていますね。
論語に「子まれに利を言う、命と与にし、仁と与にす。」とあります。
「子(孔子)はまれに利益について言われた。その時には、常に天の命や、
人の道の本である仁に照らし合わせて話された。」という意味です。
企業は利益をあげなければなりません。
しかし、その利益は会社の使命に基づいたものであり、
人の道に沿ったものでなければなりません。
企業としてはいかに利益をあげていくかを今まで以上に真剣に考えねばなりません。
今、世の中はめまぐるしく変化していますが、その中で変えなければならないものは何か、
変えてはいけないものは何かを見極め、真剣に活動していくことが大切なのです。

――仏具メーカーとして京都の価値を感じることはありますか?
当社は京都で仏具を製作している恩恵を大きく受けています。
京都には技術力のある職人がたくさんいます。
技術の高い職人さんと仕事ができるメリットがあります。
また昔から培われた文化があり、それを自然と見て育っているので、
ものを見る目が備わっています。
この頃は京都のものに似せた京風のものが増えています。
そうではなく本当に京都から発信しているといえるものを作りたいと考えています。
京風というのは江戸時代に既にありました。
かって京都は日本でも最大の工業地帯で手工業が盛んな土地でした。
しかし江戸時代になり、地方で工業が発達し、
京都のものに似せた“似寄(により)の品”が地方でも作られるようになりました。
京ものに対して、国ものという言われ方をしました。
当時はその違いが明確にだったのですが、今はその違いが曖昧になっています。
本当に京都で作られたものが減っています。
本当に京都で作ったものをわかっていただく。
京都の奥の深さや本物の文化を発信することが、
今後も世界に向けて、京都が価値を持ち続ける上で必要なことだと思います。
――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、
初めて京都を訪れる方を吉田社長が案内する場合、どこに案内しますか?
私が京都のお寺を案内すると職業柄、専門的になりすぎておもしろくありません(笑)。
なので、やはり食べ物屋さんがいいですね。
和食に限らず京都はおいしいところが多いので、どこか一軒となると迷ってしまいすね。
――それでは、次ぎに紹介していただく伴戸社長はどんな方ですか?
やはり京都の伝統産業の関係で、京都の商人らしい、コテコテの西陣の社長さんです。
――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2008年2月19日取材)
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京都府京都市下京区松原通麩屋町西入
代表取締役社長 吉田光宏
電話:(075)341-1361
FAX:(075)343-1356
■株式会社吉田治市商店 吉田光宏 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2008年03月06日
「奮闘努力」「I&I」、そして「時流独創」
――吉田治市商店の3代目社長とうかがったのですが?
当社は祖父が昭和8年に創業した会社です。
実は祖父は京都の出身ではなく、
もとは名古屋の農家の五男でした。
わりと大きな農地を持っていたらしいのですが、
祖父の父の代に相場で失敗して、
祖父は小学校5年のときに
京都の仏具屋に丁稚奉公に出されました。
ところがそのお店も世界恐慌のときに相場で失敗したのです。
そのお店で勤めていてもこれ以上給料はあがらないよと言われ、28歳になっていた祖父は「男としてこのままでは終われない」と思い自分で商売をしようと決意しました。
寺町四条の地で創業したときに
「奮闘努力」という額を掲げて商売を始めました。
「奮闘努力」という創業の精神を忘れてはいけないと、
今でもその額を社内に飾っています。
祖父が起こした会社を長男だった父が受け継ぎ、私は長男だったので、学生時分からこの会社を自分が継ぐということは意識していましたし、それが自然なことだと思っていました。
大学を卒業したときは業界最大手で上場もしている株式会社はせがわに就職しました。
関東の店舗で3年ほど勤めた後、平成元年に京都に戻ってきました。
それから約20年、昨年の7月に3代目として社長に就任しました。
――経営テーマの「I&I Corporation」というのはどういう意味ですか?
一般的に私たちという言葉は英語で(WE)と表されます。
私たち=私(I)とあなた(YOU)という意味です。
しかし(I&I)といったときには私(I)とあなた(I)の違いは存在しません。
私(I)とあなた(I)はあくまで同じなのです。
私はレゲエが好きで、特にボブ・マーリーをよく聴き、ジャマイカにも行きました。
レゲエミュージック、レゲエミュージシャンにはラスタファリズムという思想があって、
彼らが私たちというときに(I&I)と言うのです。
「WE LOVE REGGAE MUSIC」ではなく
「I&I LOVE REGGAE MUSIC」という風に・・・。
私とあなたが同じ立場で区別がないという思想は
仏教の説く「自利利他」の教えにも繋がります。
私とあなたが同じであるということ、
私とあなたは仕事を為す上での責任という点でもまったく同等なのです。
社員同士はもちろん、お得意先、仕入れ先に対しても
この(I&I)という気持ちを忘れてはなりません。
それは単にみんなが仲良くということではなく、ひとりひとりが会社の方針、
目標を十分に理解し、個人におけるその責任を全うしなければならないということです。
その為に自分自身をよく整えることから始めねばならないのです。
――経営ビジョンとして挙げられている「時流独創経営」というのは?
「時流独創」とは哲学者の芳村思風さんの理念で
「ときの流れに流されるのではなく、自らときの流れをつくる気概をもつ。」ということです。
「十年先はこう成るではなく、十年先はこう在らねばならない」、
と主体的な意志によって生きるのでなければなりません。
先にも言ったように住宅事情や信仰心の問題もあって業界は厳しいです。
より安価で今の生活にあった仏具が求められています。
それはときの流れかもしれませんが、仏具の持つ本来の姿を忘れてはいけません。
小さなことからしかできないのかも知れませんが、本来あるべき姿を見失わず、
ときの流れを自分でつくるという気持ちが大切なのです。
■株式会社はせがわ HP
■Bob Marley HP
■株式会社吉田治市商店 吉田光宏 【1】 >> 【2】 >> 【3】
2008年03月05日
「こころをつくる」が経営理念です。
第3回 株式会社吉田治市商店 吉田光宏社長

ダイイチ株式会社の熊谷貴夫社長からレゲエ好きのおもしろいおっちゃんと
紹介を頂いたのは株式会社吉田治市商店の吉田光宏社長です。
株式会社吉田治市商店は京都の伝統産業とも深い関わりのある京仏具メーカーです。
――仏具のメーカーということですが、どういうものを作っているのですか?
仏教の儀式で使う道具全般に製作しているのですが、
当社は特に寺院荘厳具(じいんしょうごんぐ)と呼ばれる
寺院の装飾に使われる道具の製作が強いですね。
でもメーカーといっても、工場があって、そこで仏具を作っているわけではありません。
昔から京都の仏具製造は分業制になっています。
ひとつの仏具が制作される過程で多くの伝統産業などの職人さんの手を経ることになります。
たとえば前机というお寺のご本堂に置く机を作る工程には、
まず木地師といって木で形を造る方がいます。
彫刻を施す部分はまた別のひとが造ります。
形が造られた机に漆を塗るひともいます。
漆を磨き上げて光沢を出すのはまた別のひとです。
金箔を貼るひと、錺金具をつくるひと、蒔絵を施すひと、彩色を施すひと…。
それぞれの工程はすべて違う専門職の方がいます。
――お寺のものはオーダーメイドになるのですか?
当社は寺院などから発注を受けた仏具店から製造の注文をいただき、
設計したものをそれぞれ専門の方に発注し、その施工を管理し、
製品が仕上がるまでのプロデュースをしているのです。
お寺さんは宗派も違えば、大きさも違います。
同じ仏具でも宗派によってその仕様が異なるものもあります。
京都は伝統産業に携わる職人さんが多く、技術水準も非常に高いです。
その分、コストも高くなるのですが、
海外の工場などで大量生産される規格品とは品質がやっぱり違いますね。
技術力の高い専門の職人の方をつかって
価値のある仏具を作っているという自負はもっていますね。
――仏具業界も景気に左右されるものなのですか?
今は業界全体として景気は厳しいですね。
大きな理由がふたつあります。
まず信仰の形態がかわり、宗教心が薄れてきたということです。
住宅事情の変化もあって、仏間どころか畳のある部屋すらない家庭があります。
もうひとつの理由はやはり景気に拠るものです。
お寺というものは基本的に寄付からなりたっています。
世の中のお金がまわっていない時期にはやはり寄付の額は少なくなります。
景気の問題はともかく宗教心に関しては、
業界全体で取り組んでいかなければならないことだと思っています。
当社でも「こころをつくる」ということを経営の理念としています。
二十一世紀の仏匠として、日本の文化を伝承し、日本の伝統工芸を後世に伝え、
日本人のこころを少しずつでも豊かにしていくことが使命だと思っています。
■株式会社吉田治市商店 吉田光宏 【1】 >> 【2】 >> 【3】

ダイイチ株式会社の熊谷貴夫社長からレゲエ好きのおもしろいおっちゃんと
紹介を頂いたのは株式会社吉田治市商店の吉田光宏社長です。
株式会社吉田治市商店は京都の伝統産業とも深い関わりのある京仏具メーカーです。
――仏具のメーカーということですが、どういうものを作っているのですか?
仏教の儀式で使う道具全般に製作しているのですが、
当社は特に寺院荘厳具(じいんしょうごんぐ)と呼ばれる
寺院の装飾に使われる道具の製作が強いですね。
でもメーカーといっても、工場があって、そこで仏具を作っているわけではありません。
昔から京都の仏具製造は分業制になっています。
ひとつの仏具が制作される過程で多くの伝統産業などの職人さんの手を経ることになります。
たとえば前机というお寺のご本堂に置く机を作る工程には、
まず木地師といって木で形を造る方がいます。
彫刻を施す部分はまた別のひとが造ります。
形が造られた机に漆を塗るひともいます。
漆を磨き上げて光沢を出すのはまた別のひとです。
金箔を貼るひと、錺金具をつくるひと、蒔絵を施すひと、彩色を施すひと…。
それぞれの工程はすべて違う専門職の方がいます。
――お寺のものはオーダーメイドになるのですか?
当社は寺院などから発注を受けた仏具店から製造の注文をいただき、
設計したものをそれぞれ専門の方に発注し、その施工を管理し、
製品が仕上がるまでのプロデュースをしているのです。
お寺さんは宗派も違えば、大きさも違います。
同じ仏具でも宗派によってその仕様が異なるものもあります。
京都は伝統産業に携わる職人さんが多く、技術水準も非常に高いです。
その分、コストも高くなるのですが、
海外の工場などで大量生産される規格品とは品質がやっぱり違いますね。
技術力の高い専門の職人の方をつかって
価値のある仏具を作っているという自負はもっていますね。
――仏具業界も景気に左右されるものなのですか?
今は業界全体として景気は厳しいですね。
大きな理由がふたつあります。
まず信仰の形態がかわり、宗教心が薄れてきたということです。
住宅事情の変化もあって、仏間どころか畳のある部屋すらない家庭があります。
もうひとつの理由はやはり景気に拠るものです。
お寺というものは基本的に寄付からなりたっています。
世の中のお金がまわっていない時期にはやはり寄付の額は少なくなります。
景気の問題はともかく宗教心に関しては、
業界全体で取り組んでいかなければならないことだと思っています。
当社でも「こころをつくる」ということを経営の理念としています。
二十一世紀の仏匠として、日本の文化を伝承し、日本の伝統工芸を後世に伝え、
日本人のこころを少しずつでも豊かにしていくことが使命だと思っています。
■株式会社吉田治市商店 吉田光宏 【1】 >> 【2】 >> 【3】