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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年01月23日

何気ないところに滲み出ているものこそが本当の京都らしい。

第14回 京朋株式会社 代表取締役 室木英人 vol.3



――京都の文化についてどう思われますか?

父は東京生まれだったため、私は京都生まれの京都育ちにも関わらず、
会社に入るまではずっと関東弁を話していました。家のなかでは標準語だったのですよ。
父は生粋の江戸っ子で、そういう家庭に育った影響もあったのでしょうか、
私は「一見さんお断り」、「ぶぶ漬けでもどうですか?(早く帰って欲しい)」に代表される
京都の文化がとても苦手でした。

ところが、京都に残り会社を継ぎ、ビジネスというより商売(あきない)に携わるようになり、
昔から京都に居られる方たちと深くお付き合いするようになって、
その文化の意味するところがよく理解できるようになりました。

「一見(いちげん)さんお断り」は決して排除の論理ではなく、
その店の雰囲気や馴染みのお客様を守るためにできたものなのです。
例えば、一見(いちげん)の人が店で騒いだりすると、馴染みのお客さんが迷惑するし、
お店の雰囲気が悪くなって評判がさがります。

「ぶぶ漬けでもどうですか?」も直接的に物事を伝えることは無粋であり、
間接的にものごとを伝えて、それを理解することで
相手との距離がより密接になるということが背景にあり、
一概に否定するべきものではないと、今は考えています。

そうした京都の文化を育んだ京都の自然や寺社仏閣も含めた町並みは、
世界に誇るべきもので、今後、日本の人口が減少するなかで、
世界に打って出られる数少ないコンテンツのひとつだと思います。

だからこそ、もっと戦略的に京都の良さを打ち出していく必要がありますし、
そのとき、着物を有効な観光資源として、
大きな武器になるので今まで以上にアピールしていく必要があると思います。


――最後になりましたが、魅力のある場所は京都にたくさんあると思うのですが、初めて京都を訪れる方を室木社長が案内する場合、どこに案内しますか?

実は清水寺に行ったのも20歳を過ぎてからで、
金閣寺も行ったことがあるかないかはっきり覚えていないくらいなのですよ。
京都の華々しい観光地はどちらかといえば、少し苦手で・・・。

私は育ちが嵯峨嵐山方面なので、もちろん桜や紅葉の時期の嵐山もいいのですが、
それ以外のシーズンの嵐山や、昔住んでいた大覚寺の近くがすごく落ち着いていて好きですね。

大覚寺の近くの広沢池と大沢池、民家が並ぶ小道や田んぼのあぜ道を歩くと、
ちいさなお地蔵さんがあったりして、なにげないところなのですが、
京都の良い意味でゆったりとした空気を感じることができます。

観光地らしい観光地よりは、
何気ないところに滲み出ているものこそが本当の京都らしいところだと思います。
あとは、もちろん弊社のアンテナショップ「コエトイロ -coetoiro-」ですね(笑)。


――それでは、次ぎに紹介していただく山田社長はどんな方ですか?

風呂敷や和雑貨を専門に扱っておられる会社の代表なのですが、
たいへん知的な方で個人的にも尊敬しています。
弊社のアンテナショップは山田社長が原宿で出店したお店もヒントになっています。

――今日は忙しいなか、本当にありがとうございました。
(2008年12月18日取材)

大覚寺HP

*********************************

京朋株式会社
京都市中京区六角通室町西入

代表取締役 室木英人 
電話:(075)222-1211
FAX:(075)221-3350
HP:http://www.kimono-kyoho.co.jp/

「コエトイロ -coetoiro-」HP:http://coetoiro.jp/





■京朋株式会社 室木英人 【1】 >> 【2】 >> 【3】

  


Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)京朋株式会社 室木英人

2009年01月22日

着物を着ること自体に価値を作っていきたい。

第14回 京朋株式会社 代表取締役 室木英人 vol.2

――「コエトイロ -coetoiro-」は室木社長の発案とうかがったのですが?

はい。マーケットリサーチと商品開発を考えて出店しました。

そもそも入社したときからずっとアンテナショップについては考えていました。ただ、店のコンセプト・マーチャンダイジング・店舗の設計から接客に到るまで、実際の運営は当社の30歳前後の女性スタッフたちに全て任せています。

着物業界は和装離れもあり、かなり厳しい状態です。振袖でトップシェアを誇るといっても、規模がかなり縮小しています。
今の産業とお客さまのニーズが噛みあっていないところがあるので、小売で得たノウハウを商品開発に活かして、既存のお客様との取引の活性化に繋げたいと考えています。

少し前にアンティーク着物がはやったのですが、新作の着物市場にはまったく影響がありませんでした。アンティーク着物に興味を持ったひとが、どうして新作の着物に興味を持ってくれないのか?

「着物が好き?嫌い?」と訊けばたいていの方が「好き」と答え、
「着物を着たい?着たくない?」と訊くとほとんどのひとが「着たい」と答えます。
ところが「実際に着物を着ていますか?」と訊ねるとほとんどの方が着ていません。
そこには値段が高いとか、着付けができない、
着物を着ていくシーンがないとか様々な問題があります。

成人式、結婚式に以外に着物を着る機会を増やすなど、
着物を着るシーンを作ることも、もちろんなのですが、
着物を着ること自体に価値を作っていきたいと思っています。
例えば、着物を着ていくシーンだから着物を着るのではなく、
着物を着ていくことにより、そこにシーンが生まれるような価値を提案したいですね。




――室木社長は27歳とたいへんお若いのですが、ご経歴を教えてください。

元々、次男だったので会社を継ぐことは一切、頭にありませんでした。
私は恥ずかしながら高校を中退した後に大検をとって、立命館大学に入学したのですが、
就職活動も普通に行い、東京の会社に務める予定でした。

ところが父の健康問題や兄から私へ後継者のバトンタッチが急にきまった為、
内定先に謝って、2006年4月に新卒で京朋に入社しました。
入社した年に父の癌が再発したために、2007年夏に専務になり、
その年末に社長交代を行う予定だったのですが、
間に合わず父は年末になくなり、2007年の12月に社長に就任しました。

着物業界にすすむつもりは、大学を卒業するまでまったくなかったので、
まだまだ勉強が必要です。素材にしろ、染色過程の工程にしろ、
何百パターンもあって、組み合わせは無数になります。着物は奥が深いですね。

当然、自分が着物に携わるようになって着物を着る機会が増えました。
着物を着ると背筋が伸び、言葉遣いがかわります。
強く意識しなくても、自然にそう変わるところがすごく好きですし、
着物には日本人のDNAに訴えかけるものがあると思いますね。


――京朋の社名は「京都の友禅を愛する多くの朋友とともに」という由来があるのだそうですね。

はい。社名には創業者の思いがこもっています。
現在でも「京朋は、京都が誇る染色技術を守り育てながら、誠実で優れた意匠の着物をつくり、
関わりあうすべての人に感動や満足を提供できる企業を目指します。」
というミッションをすべての活動の根底においています。

リッツ・カールトンホテルのクレドカードにヒントを得た
京朋ベーシック「京朋社員9つの約束」という行動指針を常に持ち歩き、
毎朝その中の項目についてひとりずつスピーチをしています。

私の言葉でいいかえると、
今の忙しい時代だからこそ感じることができる着物を着る喜び、楽しみ、充実感を
ひとりでも多くのお客様に提供することが、これからの我々の最大のミッションだと考えています。

また方針については、よくプロダクトアウトかマーケットインかという議論がありますが、
マーケットインだけではメーカーとして開発能力が伸びませんし、
プロダクトアウトだけであっても、それは自己満足にしかすぎません。
マーケットを意識し、受け入れられる素養のある商品を開発した上で、
新しいマーケットを作り出す、マーケットメイクを目指し、
できるだけ魅力のある商品をプロダクトアウトの形で作っていきたいと考えています。



 「コエトイロ -coetoiro-」
http://coetoiro.jp/

京都市中京区新京極通四条上る
中之町577-21 柳小路
営業時間:11:00~19:00
月曜定休(祝日の場合は翌日)
TEL:075-241-4433

コエトイロBLOG





京朋株式会社HP

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Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(1)京朋株式会社 室木英人

2009年01月21日

素材や染色作家さんをコーディネート、プロデュースします。

第14回 京朋株式会社 代表取締役 室木英人 vol.1



株式会社三才の斉藤専務から、着物の加工元卸業の最大手の会社に紆余曲折を経て
社長に就任された27歳の若き社長です、と紹介をいただいた京朋の室木社長です。
京朋株式会社は振袖では着物業界でもトップのシェアを誇り、
昨今は特に若い世代(20代後半~30代)の女性をターゲットにした
商品開発に力を注いでいます。



――創業は昭和30年ということですが、呉服、着物メーカーとしては比較的新しい会社なのですね。

はい。私の祖父であり、現相談役の大江茂が1955年に起こした会社です。
100年以上の歴史がある老舗が多い着物業界では、創業53年の歴史は新しい会社といえます。

創業当時、呉服は給料の何倍もするようなたいへん高価な商品でした。
祖父はもっとたくさんの女性に着物を着てもらいたいとの思いから、
大衆商品化を目指し、商品開発に全力を注いだ結果、
付下という大ヒット商品を世に送りだすことができました。

戦後の高度成長期とも重なり、ちょうど団塊の世代が成人し、
結婚する1970年前後にピークを迎えました。
当時は嫁入りのときに和ダンス一式といわれていた時代で、
その流れにもうまく乗って会社は急成長を遂げました。

その後も着物業界でキャラクターブランド商品の先駆けとなった「秋山庄太郎のきもの」などを
次々と発表し、業界に一大センセーションを巻き起こすなど、
祖父は積極的に事業展開を行いました。


――前回の株式会社三才の斉藤専務は着物デザイナーということでしたが、京朋は着物メーカーになるのですね?

はい。弊社は製造卸しの会社です。
メーカーとはいいますが、弊社が工場を持っているわけではありません。

着物を作るためにはまず、丹後地方や長浜の方で織られた白生地を扱う問屋さんから
生地を買い付けます。
着物は、紬などの先に糸を染めているものもありますが、
うちの場合は真っ白な状態の生地を買ってきます。

市内の染色工場で柄などを指示して染めてもらいます。
そうして染められた生地が加工されて製品になります。素材や染工場、染色作家さんには、
それぞれ特色があるので、そのカラーをうまく組み合わせて、どう引き出すかが我々の役目です。
要はコーディネーター、プロデュースする立場ですね。

製品は問屋を通して、小売店に並び、消費者の手に届くようになります。
現在は着物の流通も過渡期で流通形態が徐々に変化してきています。

着物のデザインについても、これまでは作家とよばれる着物デザイナーは社外に居たのですが、
弊社では社内にデザイン部署を作り、社内デザイナーによる商品の開発にも取り組んでいます。

2008年10月には四条河原町近くに「コエトイロ -coetoiro-」という
アンテナショップも出店しました。


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「コエトイロ -coetoiro-」HP


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Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00Comments(0)京朋株式会社 室木英人