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2008年09月09日

「芳香炉(ほうこうろ)」は蕎麦屋の鍋料理のさきがけでした。

第10回 有限会社晦庵 河道屋 植田健社長 vol.2

――蕎麦について教えてください。

蕎麦は最澄さんが中国から伝えたという説もあるのですが、もっと古くから日本にあるようです。
蕎麦はいわゆる五穀に入らないのですが、荒れ地でも育ち、高たんぱくで栄養価が高く、
飢饉があっても植えてから75日で収穫できるので、飢饉食としても有用でした。
五穀断ちをする延暦寺の千日回峰行でも、蕎麦を食べて栄養を採るそうです。

延暦寺といえば、毎年、桓武天皇の命日である5月17日には延暦寺に登り、
手打ち蕎麦を献供するのが当家のならわしとなっていて、江戸期より100年以上も続いています。

「芳香炉(ほうこうろ)」は蕎麦屋の鍋料理のさきがけでした。




――河道屋といえば「芳香炉(ほうこうろ)」と「辛味大根」が有名ですね。

「芳香炉(ほうこうろ)」は昭和7年にこの晦庵が出来たときから、メニューにありました。
当時は座敷で大勢がいっしょに召し上がっていただくものがなく、
みんなで一緒に食べていただきたいということで作ったのが「芳香炉(ほうこうろ)」です。
昭和7年からここの名物で、蕎麦屋の鍋料理のさきがけでした。

中央に煙突のついた特徴のある鍋を使うのですが、
元々その鍋は満州のおみやげで「火鍋子(ほうこうず)」と言いました。
それを「芳香炉(ほうこうろ)」として売り出したわけです。 

お野菜や鶏肉、湯葉をいれ、煮ながら召し上がっていただき、
最後にお蕎麦で締めていただきます。
これが当店のおすすめというか、成り立ちからの看板商品ですね。

辛味大根は鷹峰の農家の方が作ったものを使用しています。
実は、鷹峰の辛味大根は一時、消費量が減って、生産農家が一軒になってしまったのを、
父が全部買い取るからと約束して、生産を続けてもらったのです。
今もその方に大根を作ってもらっていて、私も4代からの付き合いになります。

昨今は京野菜のブームもあって、他の農家の方も作るようになりました。
京都の他にも長野あたりでも作っていて市場にまわっています。

当店では鷹峰の辛味大根を新蕎麦の出る10月から、
年が明けて3月20日まで扱うようにしています。
3月20日は大石内蔵助の命日で、祇園の「一力亭」で大石忌が営まれ、
その行事に当店の蕎麦の薬味として出しています。


――吉田神社の節分祭りでの年越し蕎麦は何年続いてるんですか?

吉田神社の節分祭りに店を出すようになったのは昭和26年のことで、
父が言い出してはじめたのがきっかけです。今年で56回目になるのかな。
私が生まれた年にはじまったのですよ。

料理の神様を奉っている山蔭神社の前の参道に店を出しているのですが、
河道屋ののれんわけしたお店や、取引先の方にも声をかけ、
年に一度、河道屋の結束を固めています。

晦庵 河道屋HP
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Posted by 京の社長と数珠紐 at 12:00│Comments(0)有限会社晦庵河道屋 植田健
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